江戸の名所「神田」⑤神田明神1

 「二本差し(侍)が怖くて田楽が食えるけぇ。気の利いた鰻を見ろい。四本も五木も差してらぁ」

 大好きな江戸っ子の啖呵だ。また、江戸っ子は仰々しさや尊大さが大嫌い。

      「どこの何様だか知らねぇが、ごたいそうな口利きやがって!」

 偉そうに、くどくど言い立てるのにも我慢ならない。

     「ごたくをぬかしゃぁがって!」  「いつまでごたくを並べてんだ!」

 九鬼周造は『いきの構造』のなかで、「粋」を「垢抜けて(諦め)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」と定義づけたが、江戸っ子は「張り」=「意気地」をその特性の中核に備えていた。歌舞伎十八番「助六」のヒロイン吉原随一の傾城揚巻。彼女に惚れて、毎夜のように通って来るのが金持ちの意休。しかし揚巻は恋人の助六に夢中。言い寄る意休に揚巻は少しも臆せずこんな悪態をつく。

  「情夫(まぶ)と客とは雪と炭」

  「はばかりながら揚巻でござんす。暗闇で見ても助六さんとお前、取り違えてよいものか」

 まさに、江戸っ子の心意気にぴったりのセリフだ。「長いものに巻かれる」のを嫌い、「金にも権威にも屈しない」江戸っ子気質を考えるとき、「神田明神」の存在が浮かぶ。どう関係すると言うのか。

 神田明神の正式名称は神田神社。東京の中心(神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場など)108町会の総氏神で、江戸時代は江戸城の表鬼門除けに鎮座する江戸総鎮守だった。しかし、今考えたいのはそのことではない。ここの御祭神、「大己貴命」(おおなむちのみこと)、「少彦名命」(すくなひこなのみこと)、「平将門命」(たいらのまさかどのみこと)についてである。

 「大己貴命」は「大国主命」(おおくにぬしのみこと)としての方が有名(「因幡の白兎」を助けた神)。天照大神の弟で高天原から追放されて地上に降りた素戔嗚尊(すさのおのみこと)の六世の孫(「日本書紀」は子とする)で、少彦名命らの協力を得て,地上世界「葦原中国」(あしはらのなかつくに)の経営に当たる。高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(アマテラスオオミカミ)は、繁栄した葦原中国の様子をご覧になり、「葦原中国は我が子が統治すべき」と考える。そして、大国主命に地上の支配権を天孫に譲らせた(「国譲り」)。このように、天孫側(大和政権)からすれば、大国主命(出雲政権)はアウトサイダー(反主流派)と言っていい存在なのだ。

 平将門がアウトサイダーであることは明白。彼は平安中期の武将で下総国の人。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず憤慨して関東に戻る。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど、関東に勢力を拡げた。自ら「新皇」と称し関東独立を図った(平将門の乱)が、朝廷の追討軍との争いに破れた。このように統治者である権力側(朝廷)からすれば、とんでもない悪党だが、反権力側(庶民。農民)から見れば、尊敬される英雄だった。

 このようなアウトサイダーたちを祀っているのが神田っ子、江戸っ子の魂の拠り所「神田明神」なのだ。

 (周重「助六由縁江戸桜 」)

(国貞「風俗花立見 東都吉原の桜」「あけ巻」初代坂東しうか、「助六」八代目市川団十郎)

(広重「江戸名所 神田明神」)

(広重「江戸名所 神田明神境内眺望」)

(広重「名所江戸百景 神田明神曙之景」)

(「稲羽の白兎と大国主大神」出雲大社)

(狩野探道「天孫降臨図」)

(国貞「平親王将門」四代目中村歌右衛門)

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