江戸の名所「深川」③勝海舟の正妻おたみ3

 お民(君江)の嫁入りが決まると、麟太郎の父小吉は一人でぶらりとお民の実家の炭屋に出かけて行って、こう言った。

「『多寡が四十俵の貧乏家人の嫁入りだ。なにか持ってこられちゃあこっちが大そう迷惑するわさ。いいかえ、こ奴あおいらが固く断って置くが荷物は風呂敷包が一つの事だ。・・・おいらがとんだ道楽もんで、家の中には何一つねえ事故、そっちも空手でやって来て、これから麟太郎と二人、力を併せて十年後、二十年後、勝という家を立派なものにするが、ほんの事なのだ。・・・そうだ、おいらの家には、嫁のねる蒲団がねえ、生憎、こっちは銭もねえ故、古いのでもやぶれたのでも、余分があったら嫁の分だけ蒲団を一つ持って来てくれれあいい都合だ』」(子母沢寛『勝海舟』)

 そして結婚式当日。秋の半ばとは思えないような穏やかな晩。

「両親に連れられて、何処から見ても、貧乏家人の女房らしく、花嫁とも見えない地味な拵えのおたみは、自分で小さな包みを一つ提げ、そのうしろから、これは夜具の包みらしい大風呂敷を背負って若いちゃきちゃき音のしそうな男が一人ついて来る。」

 この男は、おたみ(君江)が一番組の半纏を汚したいざこざの件で兄弟のような関係になった深川南一番組の纏持岩次郎。「纏持ち」と言えば、町火消の花形。「若い」「背が高い」「美男子」の三条件を満たした、いわば組のイメージキャラクター。なにしろ、燃えさかる炎が、さらに建物を呑み込もうとする、その最前線に纏を立てるのが役目。麟太郎が初めて岩次郎の家に行った時の、部屋の様子がこんなふうに描かれている。

「刺子頭巾から、足拵えの道具まで、片隅の小さな箪笥の上に、きちんと用意が出来ていて、じゃんと鳴ったら、すぐにでも飛び出せる気がまえが、家の中に溢れている。」

 結婚した頃、麟太郎は赤坂の永井青崖に入門し、蘭学を学び始めていた。青崖の著作の手伝いもあって、近くの赤坂田町にお民と引っ越すことにする。その日も麟太郎は、お民を一人新居にのこしたまま仕事で家に戻らない。岩次郎は「麟さんもとんだ人だよと、つぶやいて、勉強の大切は知れているが、なにも引越したその夜から家を空ける程の事もあるめえ、ね、姉さん、なんあら、岩次郎が、ちょいと、それとなく迎えに行って来やしょうかね、といった。」

 この後のお民のセリフがたまらなくいい。

「おたみは、ほほほほと小さく笑って、

『いいんですよう。所詮は、女房の傍らにぐずぐずしているようなお人じゃあないんですから、岩さんあたいは—――』

といって、はっと気がついて、あたくしはね、と云い直した。おたみは言葉のはしばしにさえ、一刻も早く深川の元の水からぬけ切ろうとしている。

『荷物をなにも持って来ませぬ代りには、夫のためとあれば、五年が十年でも、一人ぼっちで留守をしているくらいの覚悟は、しっかりとお肝(なか)に納めて嫁入ったのでございますよ』

 岩次郎は唸った。え、え、偉いおたみさん。」

 江戸の女たちの憧れの的、纏持ちの岩次郎をもうならせたお民の心意気、あっぱれ!

 (北斎「富嶽三十六景 深川万年橋下」) 隅田川の向こうに富士を望む勝景の地として知られる

(清長「当世遊里美人合 多通美」) 「多通美」=「たつみ」

(歌川芳虎『江戸の花子供遊び』「い組の纏」)

(歌川芳虎『江戸の花子供遊び』「は組の纏」)

(町火消し配置図)

(『鎭火安心圖巻』町火消三番組 み組)

 

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