「フランス革命の光と闇」⑨教会財産国有化

 国王とともに国民議会もヴェルサイユからパリに移った。議会がまず取り組まねばならなかったのは、財政問題の解決。これまで誰も穴埋めすることができなかった財政赤字の解消である。その方法として驚くべき提案が一人の聖職者によってなされた。教会財産の国家による没収である。提案者はいずれナポレオン時代の外交官として名をはせるオータン司教タレーラン。当時の教会財産は30億リーヴル(収益は2億リーヴル)、聖職者階級は王国の土地の10パーセントを保有していた。タレーランらのプランは、教会財産を国有化したうえで売却し、またこれらの土地を担保にして、一種の有価証券を発行するというもの。その後アッシニアは5%の利子が廃止され、事実上の紙幣(アッシニア紙幣)として使われるようになる。しかし、みるみるうちにアッシニア紙幣の価値は下落し、生活費は高騰し、それは革命の急進化の一要因にもなってしまうのだが。

 1790年7月12日、『聖職者民事基本法』が制定された。教会財産の没収によって収入を絶たれた聖職者が、政府から俸給を受け取ることが決められた。すなわち聖職者は公務員となる。司教も司祭も非カトリック教徒を含めた市民によって選ばれる、とも規定した。しかもこの教会改革は、当事者である教会関係者とも法王庁とも交渉せずに決定された。さらに4カ月後に議会は、この『聖職者民事基本法』に全僧侶が忠誠を宣誓することを要求する議決までする。これによってフランスの教会は宣誓僧侶と忌避僧侶のまっぷたつに分断された。宣誓することはフランス革命を支持することであり、それを拒否することは反革命でローマ法王に忠誠を誓うことだった。ローマ法王ピオ6世は二度にわたる法王教書で『聖職者民事基本法』を弾劾し、「宣誓しないように」直接的に司教に呼びかけた。議会は、教皇への報復として1348年から教皇領だったアヴィニョンをフランスに併合。宣誓をした僧侶が約半数、忌避した僧侶も約半数。そして忌避僧侶は反革命側の精神的支柱になっていく。

 ルイ16世はこのような事態に対してどのように対応したのか?ルイは敬虔なキリスト教徒であるうえ、自分は全能の神から使命を受けて国王を務めているという信念を強くもっていた。だから、『聖職者民事基本法』の制定はルイを震撼させた。教会が分断されるのを目の当たりにして胸が張り裂けそうになった。しかし、優位に立つ議会の意向に屈服することを余儀なくされ、『聖職者民事基本法』と聖職者への宣誓強制を承認する。ルイは、迷い苦しみながら、大規模な内戦とそれにともなう国内外の混乱を何よりも恐れていた。しかし、徐々に国王の中である思いが強くなっていく。それは、国王としての存在意義や尊厳を自分から奪った革命からの逃避である。

 (「教会財産の国有化」の風刺画)

(廃業した僧侶の引っ越し)

(「聖職者民事基本法」に宣誓させられる司祭)

(「ローマ教皇の教書」を尻で拭くフランス市民)

(ピエール・ポール・プリュードン「タレーラン 1817年」メトロポリタン美術館)

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