「中秋の名月」③石山の秋月
琵琶湖岸の美しさを代表する8つの景勝地「近江八景」。比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、矢橋の帰帆、瀬田の夕照、石山の秋月。中国湖南省の洞庭湖付近の景勝地を選定した「瀟湘(しょうしょう)八景」を模して選定されたものとされる。選定者は室町時代の関白近衛政家、戦国時代の公家や五山の詩僧などの説があるが定かではない。広重の浮世絵などによって広く知られるようになった。
その中の一つ「石山秋月」。琵琶湖南部に位置する石山寺から望む秋の月(中秋の名月)と、その明かりを映した琵琶湖の情景。瀬田の唐橋から南へ1.5kmほど下ったところにある石山寺は、本堂が珪灰石(石山寺硅灰石)という巨大な岩盤の上に建てられ、それが寺名の由来となった。如意輪観世音菩薩を本尊とし、平安時代には清水や初瀬と並ぶ観音信仰の中心地だった。『蜻蛉日記』や『更級日記』に石山詣の記述が見られるように、女性の信仰が篤く参詣の多かったことでも知られる。
「石山秋月」を描いた絵には紫式部とセットで描かれたものも多い。なぜか。源氏物語の誕生にかかわる。藤原彰子に仕えていた紫式部は、彰子から新しい物語を所望されたがいい案が浮かばない。そこで、すすめられて構想を練るため石山寺に参籠。7日過ぎても筆は動かず気鬱になる。8月15日のこと。琵琶湖の中天に満月がのぼり、湖面にも皓然たる光が照り輝く。物憂さを忘れ、景色に見ほれる式部。その時、彼女の脳裏に何かが生まれる。
「 今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく・・・・・」
源氏物語の誕生だ。この名月の場面は須磨・明石の巻に活かされることとなり『源氏物語』は書き始められる。そして4年後の1008年には五十四帖より成る『源氏物語』が成立した。今から1010年前のことだ。ただしこの「紫式部は石山寺参籠中に『源氏物語』の着想を得た」という『源氏物語』起筆伝説。有名だが、あくまで後世の伝説。石山寺と紫式部及び『源氏物語』執筆との間に、歴史的事実として確認できるつながりは見つかっていない。しかし、伝説に基づいて長年にわたり人々が紫式部と『源氏物語』に因む美術工芸品や文学作品を奉納してきたため、石山寺は『源氏物語』享受史の宝庫となっている。
(広重「近江八景全図 石山より見る」)
瀬戸の唐橋、琵琶湖は、石山寺からは真北の方角にあり、その方角から月が出ることは実際にはあり得ない。琵琶湖、瀬戸の唐橋、石山寺、名月をセットで描こうとすればこうなるのはやむを得ないが。
(土佐光起 「紫式部石山寺観月図」)湖面に映った月も描かれている
(清長「紫式部」)
(国貞「源氏後集余情 発端 石山寺源氏の間」)
(酒井抱一「紫式部石山寺観月図」)
湖面に映った月しか描かれておらず、さらにそれは黒く塗りつぶされている。この大胆な彩色。まるで影のように描いた月が、実物とは異なる虚像であることを示しているのだろうか。
(月岡芳年「月百姿 石山月」)
(「源氏の間」石山寺)
(広重「近江八景之内 石山秋月」)
(広重「近江八景 石山秋月」)
(北斎「近江八景 石山の秋の月」)
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