「滝浴み 夏月(かげつ)の炎暑を避ける」①

  「滝浴(あ)み」。滝に打たれることだけでなく、眺めて楽しんだり、その滝の水で遊んだりして涼を求めることをいう。エアコンで室温を下げる方法などなかった江戸時代、人々は様々な方法で蒸し暑い日本の夏を乗り切った。多くは近くの川や池などの水辺での夕涼み(隅田川や不忍池など)。しかし時には、少し足を延ばして「滝浴み」に出かけた。江戸っ子に人気だったのは王子周辺。このあたりは石神井川が台地を割り、自然に渓谷美が形成され、滝の名所が数多くあった。石神井川をこのあたりでは「滝野川」と呼んだのもそれに由来(別の説:流れも急なことから、滝のように流れる川だったことに由来)。「王子七滝」と呼ばれる「弁天の滝」「権現の滝」「稲荷の滝」「大工の滝」「見晴らしの滝」「名主の滝」があったが、一番人気は「不動の滝」。正受院(現・滝野川2丁目)の裏手、石神井川沿いの溪谷の窪みにあり、鬱蒼と茂った樹木に囲まれているため、夏でも涼しさが感じられたようだ。その名称は16世紀中頃、正受院を開いた僧が川から不動像を拾い上げたという伝承に由来する。この滝に打たれると諸病が治ると評判になったこともあり、夏には大勢の男女が集まって大変な賑わいをみせていたそうだ。しかし、昭和33年(1958)の狩野川台風をきっかけに行なわれた石神井川の直線化と護岸工事によって、すっかり姿を消しまった。

 この滝を「華厳の滝」(日光)並みの迫力ある姿で描いたのが広重の「名所江戸百景 王子不動之滝」。滝近くの褌(ふんどし)姿の男が滝浴みをしている。手前には滝を眺めている二人連れの女性、茶屋も出て老婆が客に給仕をしている。心地よい滝の音や飛沫(しぶき)を感じながら、清涼感につつまれての滝浴み。

 滝野川付近は、石神井川の両岸が深い渓谷となっているため、夏は避暑、秋は紅葉の名所として賑わった。広重「東都名所 王子瀧の川」を見るとその様子がよくわかる。川で泳ぐ人、水遊びを楽しむ子ども、床几の上では酒を酌み交わす人など、思い思いに夏の一日を過ごす情景が描かれている。  王子界隈を訪れる人々の目的は、滝だけではない。一年を通じていろいろな楽しみがあった。飛鳥山の花見(ぜいたくにも、富士山と筑波山の両方眺めることができた!)、音無川(=石神井川)流域の紅葉、さらには月見や雪見までも楽しむことができた。王子の地名の由来となった「王子権現(現王子神社)」や、関東稲荷総社の格式をもつ「王子稲荷」など有名な寺社も多かった。また音無川の流域には、行楽客目当ての茶屋や料理屋(「扇屋」、「海老屋」など)も数多くあり、八代将軍吉宗が飛鳥山を整備した頃には、一大観光地になっていた。

(広重「東都名所 王子滝の川」)

(広重「名所江戸百景 王子不動之滝」)

(広重「名所江戸百景 王子滝の川」)

王子を流れる滝野川(石神井川)は、このあたりでは近くに飛鳥山があったため急流となっていた。

東には飛鳥山、西には王子権現があり、四季を通じて行楽や参けい詣の人が多く訪れた。崖の上にある金剛寺は通称「紅葉寺」といい、紅葉の名所としてよく知られていた。下方の洞窟は岩屋弁天、右方には「弁天の滝」が見える。

(広重「江戸高名会亭尽 王子」)

音無川(石神井川)に面した座敷で飲食を楽しんだり、清流で遊んだり、風景を愛でたりと、思い思いに憩いのひとときを過ごす人々が描かれている。現在の音無親水公園がある辺り。

(広重「名所江戸百景 王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱(おうじおとなしがわえんたい せぞくおおたきととなう)」)

現在の音無親水公園のやや上流にあった「王子大堰」の付近を描いた作品。「音無」とは堰の上の水面が音も無く平らだった事が由来(別説あり)。この石堰は明暦2年(1656)に築造されたもので、その大きさから王子の名所になっていた。かつては飛鳥山から音無川沿いの料理屋、そしてこの王子大堰から不動の滝や岩屋弁天へと石神井川沿いに名所が展開していた。

(広重「東都名所 飛鳥山花見の図」) 富士山が見える

(広重「名所江戸百景 飛鳥山北の眺望」) 筑波山も見える


 

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