「四条河原夕涼」

 「月はおぼろに東山」の歌い出しで知られる『祇園小唄』(作詞:長田幹彦、作曲:佐々紅華 1930年【昭和5年】)。歌詞に京都の地名や風物詩が散りばめられ、舞妓さんを連想させる語句も随所に用いられている。4番まであり、それぞれ春夏秋冬を歌っているが、2番(夏)の歌詞はこうだ。 

     「 夏は河原の夕涼み   白い襟あしぼんぼりに   

       かくす涙の口紅も   燃えて身をやく大文字   

       祇園恋しや だらりの帯よ           」

 お盆に帰ってきた死者の魂を再びあの世へと送り出す伝統行事「送り火」。特に有名な京都の「五山の送り火」いわゆる「大文字焼き」が8月16日に行われたが、まだまだ暑さは厳しい。京都は内陸部にある盆地のため、冬は底冷えがするほど寒く、夏は湿気が多く蒸し暑い。この夏の暑さをしのぐには、水辺でとる夕涼みが最高。そして京都の水辺といえばもちろん鴨川。四条河原の川床(京都鴨川では「ゆか」、貴船、高雄では「かわどこ」と読むのが一般的のよう)は京都の夏のイメージとして、江戸でもよく知られていた。 元禄3年6月、京都に滞在した芭蕉は次のような文章と俳句を残している。

「四條の『河原涼み』とて、夕月夜のころより有明過ぐるころまで、川中に床を並べて、夜すがら酒飲み物食ひ遊ぶ。女は帯の結び目いかめしく、男は羽織長う着なして、法師・老人ともに交り、桶屋・鍛冶屋の弟子子(でしご)まで、いとま得顔に、うたひののしる。さすがに都のけしきなるべし。           川風や薄柿着たる夕涼み                     」

  浮世絵にも多く描かれた。例えば、鳥居清長「四条河原夕涼躰(ゆうすずみのてい)」。川床で涼を取る美人たちを描いた三枚続の大作。川面に花火を浮かべたり、杯を傾けたり、ゆったり横になって寛いだりと、思い思いに夕涼みを楽しむ様子が描かれている。国貞(「東海道 京都名所之内 四条河原」)も広重(「京都名所之内 四条川原夕涼」)も描いた。二代広重「諸国名所百景 京都四条夕すずみ」は、あのゴッホが所有していたことでも知られる。そして、ゴッホは1888年2月にアルルに移ってから夜景に関心を持つようになったが、「ローヌ河の星月夜」などに、この浮世絵からの影響(明るく夜を描く)がみられるようである。

(広重「京都名所之内 四条川原夕涼」)

 (清長「四条河原夕涼体」

(清長「四条河原夕涼体」)部分  川面に花火を浮かべる

(国貞「東海道 京都名所之内 四条河原」)

(二代広重「諸国名所百景 京都四条夕すずみ」)

(ゴッホ「ローヌ河の星月夜」)

(月岡芳年「月百姿 四条納涼」)

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