「万能人レオナルド」③軍事技師

  レオナルドは1482年頃から1499年まで、17年間ミラノに滞在し、ルドヴィコ・イル・モーロのミラノ宮廷に仕えた。レオナルドはミラノ宮廷に赴くにあたって、ルドヴィコに次のような自薦状を送って自分を売り込んだ。

「高名なる閣下。私は兵器の名工や考案者として自任しているすべての人々の試みを観察し吟味いたしましたところ、彼らの発明や発明品がふつうに使われているものと少しも異なっていないと考えられました。従いまして誰に気兼ねすることなく、閣下のお耳に私の秘密の策をあえてお教えしたいと存じます。その秘密を閣下の御意のままに御用立てられますが、以下手短かに記すことすべてのことについていつでも効果的に実働させることができます。」

 このあとに書かれているのは、13項目にわたる技能。

①様々なタイプの橋、敵の橋を破壊する方法    ②敵陣包囲の際、水濠から水を抜く方法 

③敵の城郭や要塞を破壊する方法         ④携帯、運搬が容易な大砲 

⑤音を立てずに秘密の坑道を作る方法   ⑥破壊不可能な戦車 ⑦美しく有用な大砲、火器類の製造       

⑧投石機その他の兵器類の製造      ⑨いかなる大砲、火薬に耐えうる船の建造    

⑩他に類を見ない建築、水利設備の建設  ⑪大理石、青銅、粘土による彫像の制作  

⑫絵画の制作              ⑬青銅の馬像の制作

 このうち①~⑨は軍事兵器類の技師・発明家としての才能。建築家・彫刻家・画家としての才能は⑩~⑬でとりあげられているにすぎない。

 ではレオナルドはどのような軍事兵器を考案したのか?「城壁攻撃用はしご」、「投石機」、「戦車」、「迫撃砲」など実に多様だ。イタリアは1454年、せまりくるオスマン・トルコの脅威に対して5大強国(ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、ローマ教皇領、ナポリ王国)が「ローディの和」を結び1492年までの40年間、平和の時代が到来した。しかし、異教徒であるオスマン・トルコだけでなく同じキリスト教国のスペイン、フランス、神聖ローマ帝国(ドイツ)が隙あらばイタリアに攻め入ろうとしており、イタリアにおいて軍事力の強化は切実な課題だった。だからこそ、レオナルドはその軍事技術の才能を前面に出して自分を売り込んだのだろう。

 ところでレオナルドが仕えたルドヴィコ・イル・モーロとはどのような人物だったか。彼は、ヴィスコンティ家の娘と結婚してミラノ公を継承し、スフォルツァ朝を開いたフランチェスコ・スフォルツァの次男。権力を手に入れるために様々な手を使った。兄ガレアッツォ・マリアを暗殺し、兄嫁ボーナを追放、宰相チッコ・シモネッタも処刑。ミラノ公を幼い甥ジャン・ガレアッツォ・マリアが継承すると、摂政として実権を握り、その甥が25歳になると毒殺し、自らミラノ公の地位についた。このような人物にレオナルドは仕えた。そして、イル・モーロの愛人の肖像画を描き、音楽や祝祭で宮廷の人々を楽しませ、スフォルツァ家を顕彰し(「最後の晩餐」、「スフォルツァ騎馬像」など)、都市整備計画を策定した。レオナルドは、与えられた仕事をこなす中で自らを独創的に表現するとともに、自由に使える限られた時間で自分の研究にも打ち込んでいった。

 (レオナルド「カッター付き戦車」)

(レオナルド「城壁攻撃用はしご」)

(レオナルド「戦車」)

(レオナルド「巨大な投石器」)

(レオナルド「迫撃砲」)

(ルドヴィコ・イル・モーロ)

(イル・モーロの権力獲得)

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