「日本人と虫の音」

  日中の日差しの強さははまだまだだが、盆も過ぎ日が落ちた頃に聞こえてくる虫の音に秋の気配が感じられる今日この頃。日本人であることを実感する季節だ。西欧人には見られない、虫の音を楽しむ文化。文部省唱歌『虫のこえ』は「あきの夜長を鳴き通す ああおもしろい虫の声」と歌う。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、随筆「虫の声」にこう書いている。

「われわれ西洋人はほんの一匹の蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声を聞いただけで、心の中にありったけの優しく繊細な空想をあふれさせることができる日本の人々に、何かを学ばねばならないのだ」

 今では「西洋人は、・・・日本の人々に、何かを学ばねばならない」は「日本人は・・・かつての日本人に、何かを学ばねばならない」と置き換えて読む必要もある文章になってしまったが。

  江戸時代、江戸っ子たちが虫の音を楽しむ方法は二つあった。第一は、「虫売り」から虫を買って楽しむ方法。6月(旧暦)になると、虫売りがやってきた。売っていた虫は、「蛍を第一とし,蟋蟀(こおろぎ),松虫,鈴虫,轡虫(くつわむし),玉虫,蜩(ひぐらし)等声を賞する者」(『守貞漫稿』)。清長「虫売り」には、市松模様(碁盤の目形に黒と白,黒と赤などの入れ違いを配列した模様)の屋台に虫籠をを吊るして商う様子が描かれている。

 虫の音を楽しむ第二の方法は、名所に出かけて虫の音を聞くこと。虫聞きの名所は、真崎(南千住)、隅田川東岸、道灌山、飛鳥山、三河島、お茶の水、広尾の原、関口、根岸、浅草田圃など。特に有名だったのが道灌山で、『江戸名所図会』(「道灌山聴虫」)や広重「東都名所 道潅山虫聞之図 」の舞台になっている。そこには、虫かごを持った子どもを連れた女連れとともにと酒を酌み交わし、月を愛で、虫の音に耳を傾ける文人墨客の姿が描かれている。

「 ・・・詞人吟客とくに来りて終夜その清音を珍重す。中にもまつむしのこゑはすぐれて艶しく、はたおりきりぎりすのあはれなるに、すずむしの振捨がたく、思はず有明の月を待出たるも一興とやいはん。」(『江戸名所図会』)

 自分には懐古趣味など全くないが、日本人がどこに向かって進むのか、自分をどう再構築するかを考えるうえでハーンの次の言葉は時々思い返してもいいように思う。

「日本の家庭生活や文学作品で、虫の音楽が占める地位は、われわれ西洋人にはほとんど未知の分野で発達した、ある種の美的な感受性を証明してはいないだろうか。宵祭りに、虫商人の屋台で鳴きしだ く虫の声は、西洋では稀有な詩人しか感知しえない事がらー悲喜こもごもの秋の美しさ、夜の妖しく甘美なざわめき、林野を駆け巡っては魔法のように記憶を呼び覚ます木霊ーであるが、これらは、日本の一般民衆に広く理解されているということを示してはいないだろうか。」(随筆「虫の声」)

 (広重 「東都名所 道潅山虫聞之図 」)

(『江戸名所図会』  道灌山虫聴)

(清長「虫売り」)

(歌川国守「今様源氏五性のうち 鈴虫の金性」) 猫脚の台座に飾り紐もついた虫かご 

(昭和50年頃上野の露店で扱われていた虫かご)

(国貞「江戸自慢 開帳の朝帰り」)餌が与えられている 虫かごが吊るされている

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