「クラシック・スタイルと『最後の晩餐』」

  わずか30年ほどの短い期間ではあるが、15世紀末から16世紀初頭にかけての時期は、その前後の時期と区別して「盛期ルネサンス」と呼ばれる。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠をはじめ、傑出した芸術家が前代未聞の密度で登場した。彼らは、ルネサンスの規範だった古代と自然をも凌駕する自己の芸術世界を創造しようとした。その世界は、これ以上ないと思えるほどの完成された様式で古典主義様式(クラシック・スタイル)と呼ばれる。その特徴は何か。「バランス」。その内容は次の4点とされる。

 ①簡潔性  最小限の要素による完璧さの追求   ②自然らしさ、真実らしさ  

 ③均衡と比例  ④主題の明白性

 では、このようなルネサンスの古典主義様式をもっとも完璧に表現した作品は何か。レオナルドがミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂北壁に描いた「最後の晩餐」だというのが学者たちの一致した見解だ。だからこの作品を理解することが、ルネサンスを理解することになると思うが容易ではない。レオナルド研究家も、それについて論じた書物があまりに多く、またこの作品の権威がゆるぎないものであるため、茫然自失、容易に言葉が出てこなくなると言う。では、どうアプローチすればよいか。 ケネス・クラークの次の言葉をもとに考えたい。

「われわれは『最後の晩餐』を人間のなせるわざというよりは、自然のなせるわざと みなすようになっていて、地図に描かれたイギリス諸島の形を疑わないのと同様に、この絵の姿を問題にしようなどとは考えない。こういう絵の場合、見て感じたことを分析するよりは、何かを感じることの方がかえって難しいのだ。だが直接美学的にアプローチする以外に別のやり方もある。この絵がまだ描かれておらず、壁は空白で、パトロンが描け描けとうるさくいっていた頃を想像してみるのも無駄ではあるまい。」

 「最後の晩餐」は、当時レオナルドが仕えていたミラノ公国の支配者ルドヴィコ・イル・モーロの命により、その菩提寺の食堂に描かれた。その制作中の様子が後の小説家になるマッテオ・バンデッロによって記録されている。彼は当時おじが院長をつとめるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院で見習い修道士であり、レオナルドが「最後の晩餐」を描くのをじっと見つめながら時を過ごしていた。

「レオナルドはよく早朝にやってきた。それから足場に登り、仕事を始める。ときには、夜明けから日没まで一度も絵筆をおくことなく、食べることも飲むことも忘れて休みなく描き続けることもあった。そうかと思うと、二日、三日、あるいは四日ものあいだ、まったく絵筆を手に取らずに作品の前で数時間も立ちつくし、腕組みをして、心のなかで人物像を仔細に検討し批判していることもあった。また私は、太陽が一番高い正午頃の時刻に、突然の衝動にかられた彼が、素晴らしい粘土の馬を制作しているコルテ・ヴェッキアから出て、真っ直ぐサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院へやってくるのを見かけたこともある。そうしたとき、彼は日差しを避けて歩くことも頭になく、そのまま足場によじ登り、絵筆を取って画面にひと筆かふた筆入れると、また去っていくのだった。」 

 レオナルドの「創造のリズム」が活き活きと表現されている。

(レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」)

(レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」と食堂) 

(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)

(「ルドヴィコ・イル・モーロ」ブレラ美術館)

(レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」トリノ王室図書館)

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