「レオナルドの『最後の晩餐』制作過程」①

  サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂壁画「最後の晩餐」を依頼されたレオナルドがどのように構想を練り、制作していったか、その過程を正確に把握することはできない。残されている習作、メモ、関係者の証言をもとに推測するしかない。当時は、今の芸術家には考えられない多くの制約があった。何より依頼者の制作目的に合致しなくてはいけない。「最後の晩餐」図像は、キリスト教会にとって、新約聖書の各福音書の伝える二つの重要な出来事とその意味とを信徒たちにしかと伝達すべきものでなければならなかった。その二つの出来事とは何か?第一は、最後の晩餐時にユダの裏切りが告知されて、イエスの受難が間近に迫っていることが明らかになったこと。第二は、イエスがその場においていわゆる「聖餐を制定」したこと。それぞれ、聖書の記述を見てみよう。まず、「裏切りの告知」について。

(「マタイによる福音書」第26章21節~23節)

 「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。『わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。』」

 次は「最初の聖餐式」の場面。

(マタイによる福音書 26章 26節~28節)

「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、私の父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』」

  レオナルドが制作を依頼された当時の修道院では、その食堂の壁面に「最後の晩餐」図を描く習慣が生まれていて、修道院長を中心に主イエスのそれを偲びながら食事をするのが通例になっていた。そのような習慣の起源は古代ローマ帝国時代にまでさかのぼるようで、初期キリスト教時代のカタコンベ壁画の中に見出すことができる。そして当初は、最後の晩餐時におけるイエスによる「聖餐の制定」の儀式の表現に主眼を置くものだったが、時代が下るにしたがって、「裏切りの告知」の場面が好んで描かれるようになった。レオナルドもこちらを選んだ(ただし、「聖餐」の要素も一部復活させた)。問題は、裏切り者のユダをどのように観者に知らせるか。宗教画は文盲の信徒たちへの「目で見る福音書」。一見して裏切り者がわかる表現が求められた。そして15世紀、サンタポーロニア修道院のアンドレア・デル・カスターニョの作品(1450年頃)によって図像学的な決定を見ることになる。すなわち、横向きのユダだけを食卓の手前に描き、残りの使徒全員をキリストを中心にずらりと並べて食卓の向う側に正面向きに描く構図である。

 しかし、これでは裏切り者告発の表現に終始し、あまりに図式的で、そこに何らの心理的葛藤も劇的高揚も認められない。最後の晩餐は、イエスの逮捕、磔刑、埋葬、復活、昇天というキリスト受難伝の出発点に位置する。そのような表現では、受難伝自体が包蔵する深い悲劇性を伝達することはできない。「裏切りの告知」のクライマックスはイエスが「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言い放った瞬間であり、ユダを含めたそれぞれの使徒のその瞬間の驚愕、狼狽を描き切ってこそ、この主題の悲劇的内容を真正に伝えうるといえる。そして、その至難の表現を十全に果たしたのがレオナルドだったのである。それは、レオナルドと先行する作品(いや後行する作品も含めて)を比較すれば一目瞭然だ。

 (アンドレア・デル・カスターニョ「最後の晩餐」サンタポーロニア修道院)

(アンドレア・デル・カスターニョ「最後の晩餐」サンタポーロニア修道院)

(「最後の晩餐」ラヴェンナ サンタポリナーレ・ヌオーヴォ教会)6世紀

横になって食事をするローマ式

(ジョット「最後の晩餐」スクロヴェーニ礼拝堂)14世紀初め

テーブルを囲むスタイル。これだと、テーブルの手前側の使徒たちの聖人を表わす後輪が前に描くことになり(後ろに描けば顔が見えなくなる)なんとも奇妙になってしまう。

(ギルランダイオ「最後の晩餐」フィレンツェ サン・マルコ教会)

カスターニョと同じタイプ。ギルランダイオはミケランジェロが入った工房のマエストロ。

(フラ・アンジェリコ「最後の晩餐」サン・マルコ美術館)最初の「聖餐式」を描くタイプ

(レオナルド「《最後の晩餐》の習作」ヴェネツィア アカデミア美術館

レオナルドも当初は、カスターニョと同様のユダだけをテーブル手前に配置する構図を考えていたようだ。

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