「夏の風物詩 朝顔」②

 日差しがまだ柔らかい早朝に花開く朝顔。爽やかで清涼感のある夏花の代表格だが、咲いてからわずかの時間でしぼむことから「朝顔の花一時」との慣用句もある。物事の衰えやすいことのたとえだが、青い朝顔の花言葉も「はかない恋、短い愛」。鴨長明も『方丈記』の中で、朝顔を無常観を象徴する花として次のように書いている。

「あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。」

 朝顔にまつわる有名な逸話に「一輪の朝顔」がある。登場人物は千利休と豊臣秀吉。ある時、利休がその庭に咲き誇った朝顔が見事なので、秀吉を「朝顔を眺めながらの茶会」に誘う。千利休から使いをもらった秀吉。「満開の朝顔の庭を眺めて茶を飲むのはさぞかし素晴らしかろう」と、大いに期待して利休の屋敷を訪れる。ところが、庭に朝顔の花は全く見当たらない。なんと利休は、庭の朝顔を全て切り落としてしまっていたのだ。がっかりする秀吉。ところが、茶室に入ると、一本の光の筋が差し込むその先に一輪だけ生けてある朝顔が眼に入る。利休は言う。「一輪であるが故のこの美しさ。庭のものは全て摘んでおきました。」と。秀吉は侘びの茶室を見事に飾る朝顔の美しさに驚き、利休の美学に感嘆したという。

 この話、実はそれほど単純ではないように思う。利休の行為の意味するところは何か。「数多の首を刈り取り、一人だけ咲いているのが今のあなたです。そのあなたの栄華も、この朝顔のようにやがて衰えるのですよ。この一輪の朝顔の美しさも一時のものであるように。」と読めなくもない。そして、秀吉は単に利休の美学に感嘆しただけなのか。利休の裏の意図を感じ取り不快感を覚えた可能性も否定できない。やがておとずれる秀吉による利休の切腹命令につながるやりとりをこの逸話から感じるのは、深読みしすぎだろうか。

 いずれにせよ、朝顔のイメージは爽やかさ、清涼感だけにとどまらない。脆さ、はかなさを秘めた美しさを有している。だから、朝顔は庶民の花。長屋の路地に置かれた植木鉢が似つかわしい。金と力にものを言わせ飾り立てるような権力者向きの花ではない。湯上りの、スッピンの浴衣美人にこそふさわしい花だと思うのだが。

 (広重「鯉、目高、朝顔」)

(北斎「翡翠、葦、朝顔、水葵」)

(歌麿「朝顔と花菖蒲の生け花」)

(歌麿「朝顔と水仙の生け花」)

(歌麿「「五人美人愛敬競」 松葉屋喜瀬川」)

(鈴木其一「朝顔図屏風」メトロポリタン美術館)江戸琳派の巨匠による見事な作品だが、好みではない。

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