「夏の風物詩 朝顔」①

 朝顔。日本人に大変なじみのある植物だが、日本原産ではない。熱帯アジア原産と言われ、日本へは奈良時代に中国から渡来した。最初はその種子を「牽牛子(けんごし)」と言い、下剤など薬用に使われていた。「牽牛子」の名は、非常に高価なため牛と取引された(「牽牛(けんぎゅう)」)ほどのものだったことに由来する(入谷朝顔まつりは毎年7月6日から8日まで七夕をはさんで開催されるが、七夕に織女と会う牽牛と関連付けてのようだ)。 奈良時代に編纂された『万葉集』にさっそく登場。秋の七草を詠った山上憶良(やまのうえのおくら)の歌。

「 秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七種(ななくさ)の花

  萩の花 尾花 葛花 撫子(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)の花」

 ただし、この歌のなかの「朝顔」は今の桔梗と言われている。

 平安時代になると多くの文学作品に登場する。まずは『源氏物語』。光源氏は実に多くの女性に求愛し、口説き落とすが、実は源氏のしつこい求愛を拒絶しとおした女性が3人いる。まず、六条御息所の娘秋好中宮と夕顔の娘玉鬘。この二人は源氏のかつての恋人の娘で、父親のような存在の源氏に落ちなかった理由もうなづける。もう一人は誰か。それが「朝顔」の姫君なのだ。彼女は源氏の父桐壺帝の弟、式部卿宮の娘だから、源氏の従姉妹に当たる。源氏は17歳頃からこの姫君と文通、つまり求愛している。しかし、朝顔の姫君はさりげなく気のきいた返事をかえしながら、決してなびこうとしない。源氏が多情なことも知っているし、辛く恥ずかしい目にあった六条御息所の二の舞にだけはなりたくないと思い、次第に返事も書かないように心がける。しかし、露骨に源氏に恥をかかすような気まずい思いはさせない程度の、情のあるあしらいはする。そのあたりが朝顔の姫君の聡明さで、源氏が惹かれるところでもある(ただし、男にとってこういう対応が勘違いをさせられる困りもの)。求愛をはじめてから9年たっても源氏は、なかなかこの恋を思い切れない。そんな時こんな和歌のやり取りがある。大好きな場面だ。

 源氏 「見しをりの つゆ忘られぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん」

  (かつて会ったおりのあなたのことが忘れられません。あの朝顔の花の盛りは過ぎてしまった

   のですか)

 朝顔 「秋果てて 霧の籬(まがき)に むすぼほれ あるかなきかに うつる朝顔」

  (秋が終わって霧が立つ垣根にしおれ咲いたあるのかないのか定かではないように見える朝顔。

   それが私なのです。)

 源氏としては、朝顔の気持ちを一歩踏み出させるために「花のさかりは 過ぎやしぬらん」などと、なんとも挑発的な言葉を投げかけたのだが、「その通りよ。それが何か?」とあっさりかわされてしまった。滑稽にすら感じられる光源氏との対比で朝顔の聡明さが際立つ場面だ。

 清少納言『枕草子』第46段にも朝顔は登場する。

「 草の花は撫子(なでしこ)。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。女郎花(をみなへし)。桔梗(ききやう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれ。」

 ここでは、桔梗と朝顔は区別されている。平安中期ごろから、両者は区別されるようになったようだ。朝顔を詠んだ平安期の和歌を三首。 

「うちつけに こしとや花の 色を見む 置く白露の 染むるばかりを」(「古今集」)

 (急に色濃くなったように花が見える、そこに置いた白露が染めているだけなのに)

「君来ずは 誰に見せまし 我が宿の 垣根に咲ける 朝顔の花」(「拾遺集」)

 (あなたが来ないのなら、垣根に美しく咲いている朝顔を誰に見せればいいのでしょう)

「ありとても 頼むべきかは 世の中を 知らするものは 朝顔の花」(「後拾遺集」和泉式部)

 (今生きているからと言って当てになるでしょうか。そのような無常の世の中を知らせるものは、

  この朝顔の花なのです)

 朝顔の涼しげな姿を見て、なんとかこの異常な暑さを乗り切りたいものだ。

(渓斎英泉「夏景色美人合」 )

(広重「「四季の花園 朝顔」)

(月岡芳年「東京自慢十二ヶ月・入谷の朝顔」)

(広重「四季の花尽 朝顔」)

(北斎「横大判花鳥 朝顔に蛙」)

(二代広重「三十六花撰 東都 入谷朝顔」)

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