「リミニの旧市街散策」
夕方、駅をはさんでビーチとは反対側にある旧市街を散策した。最初に入った教会。側壁に張り紙。イタリアではよく見かける死亡広告。顔写真入りで地区の住人に知らせるのだろう。3カ月前のこと。今自分が住んでいるマンションで同じ階に住んでいる奥さんが亡くなった。知ったのはしばらくしてからだった。たかだか、8家族しか同一階に住んでいないのに。特に親しかったわけではないが、顔を合わせれば声を掛け合っていたのに。
教会に入ると、イタリアでは初めて目にする剣に刺し貫かれた悲しみの聖母像。胸を刺し貫く剣は7本。これは、「マリアの七つの悲しみ」(①シメオンの予言②エジプトへの逃避③幼子イエスをイエルサレム神殿で見失う④十字架の道行きでのイエスとの出会い⑤ゴルゴタの丘でのイエスの磔刑⑥イエスが脇腹を槍で突かれ、十字架から降ろされる⑦アリマタヤのヨセフによるイエスの埋葬)を表わしている。また、この教会ではカトリック教会には珍しく正面に大きなイエスの磔刑像が置かれている。
別の教会では結婚式。ちょうど新郎新婦が出てくるところで、蝶の形の紙吹雪が舞っていた。カヴール広場にある市庁舎でも別の結婚式。このカップルのどちらかが再婚なんだろうな、って考えるのは、離婚して再婚する場合教会では結婚式をあげられないから。
Piazza Tre Martiri(三人の殉教者広場)では3本の紐が描かれているプレートを見つけた。これも、同じ広場の一角にある″Gloria ai caduti per la liberta″(自由のために亡くなった人々を讃えて)と同じ種類の記念碑。1944年8月16日、ここでマリオ・カッペッリ、ルイジ・ニコロ、アデリオ・パリアラーニの3人がナチスの手で処刑された、と記されている。別の教会の外壁にはモニュメントの上に骸骨。ガイドブックの知識に振り回されずに静かにゆっくり街を眺めていると、悲しみ、苦しみ、死のモニュメントが実に多いことに気づく。日本は、それらをあまりに遠ざけて来たのではないか。情報はあふれかえっている。しかし、生きる上で大切な知識、知恵からは隔てられて生きていやしないだろうか。自分は決してペッシミスト(悲観主義者)ではない。むしろオプティミスト(快楽主義者)だと思っている。生きていくうえで真に必要な知識、知恵などそんなに多くないように思う。しかし、深く理解するのは容易ではない。何が自分にとって大切な知識・知恵かを見極め、自分の血肉にしていく必要がある。周りに振り回されないこと。他者の意見はあくまで自分を知る比較材料程度に思っておいた方がいい。カヴール広場にある「ピーニャ(松ぼっくり)の泉」をレオナルド・ダ・ヴィンチはお気に入りだったそうだが、レオナルドの生き方は自分自身の道を進むことの大切さ、それを貫いたときに辿り着ける地平の広さ、高さを教えてくれる。
(「悲しみの聖母」)
(死亡広告)
(自由のために闘いナチスに処刑された3人の記念碑)
(教会外壁の頭蓋骨)
(「ピーニャの泉」カヴール広場)
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