「リミニからマントヴァへ」

 ホテルからタクシーでリミニ駅へ。モデナまで指定席で行き、乗り換えてマントヴァへ。イタリアの鉄道も、かつては当たり前のようだった遅延も少なくなり利用しやすくなった、と思っていたが5年ぶりに利用して改めて日本との違いを痛感した。我々は荷物は少ない方。何しろ機内持ち込み用バッグだけだから。それでも駅ホームの移動にはエレベーターを利用したい。階段では二人分運ぶ必要があるから。ところが、半分近くのエレベーターが使えない(故障)。

 列車は指定席を買っても、何号車がホームのどこに着くか不明。ホームのどこを探しても掲示はない。イタリア人の旅行者に聞くと、「列車が来ないとわからない」と言う。駅員に聞けばわかるのだろうが、ホームに全く見当たらない。今回は9号車。端だ。無難を選択して、ホーム真ん中あたりで待つ。列車が到着。先頭が10号車。急いで9号車に向かう。同じような客で、駅のホームはごった返す。中にはとりあえず乗って、それから列車の中で自分の座席に移動していると思われる人たちもいた。こういうシステムの合理化をどうして客の都合を考えて進めないんだろうかと思ってしまう。これだけ多くの旅行者が海外からくる国なのに。逆に、そんな努力をしなくても旅行者が来るからだろうか。

 リミニからモデナまで(ミラノ行き)は10分遅れで到着し、ほぼ定刻通りに到着。しかし、マントヴァ行きはひどかった。モデナ到着直後に確認したら6番線となっていたのが、10分後には7番線に変更。これはよくあることで別に驚かない。これも10分遅れ。しかし、その時刻になっても動かない。ようやくエアコンも入り、動き出すかなと思っていたら、いきなり車掌が入ってきて、「5番線の列車に変更になった」と言う。みんな慌てて移動。結局予定を20分以上遅れて出発。その間全く何の放送(説明)もなし。日本の過剰な説明、謝罪もわずらわしいが、もう少し客の立場に立って考えてくれてもいいんじゃない、イタリア人よ。

マントヴァの駅からホテルまでは1キロちょっと。チェックインの約束の時間3時まで30分以上あるのでタクシーを使わずゆっくり歩く。ヴァカンスシーズンの上日曜日とあって町は静まりかえっている。イタリアではヴァカンスシーズンによくやる道路工事であちこち通行止め。工事中の脇を進んだら、いきなり行き止まり、何の掲示もなしに。すぐ後ろから歩いてきたイタリア人のおじさん二人も、ちょっと驚いただけですぐに引き返す。ホテルへは約束の15分前に到着。

 今回2泊するホテルは歴史的建造物にも指定されていて8部屋しかなく、どうも美術館の職員がホテルの世話も兼任しているようで、チェックインの時間も厳格(イタリアらしくない)。建物の入り口で待っていると、3時きっかりに職員が現れた。チェックインの手続きをした部屋も壁や天井は壁画がびっしり。さすがにこの地を長く統治したゴンザーガ家の邸宅だけのことはある。チェックイン時に、おすすめのレストランを3件紹介される。1件は自分でも調べていた店で、タウンマップに場所も記入してくれる。しかし、印をつけた場所が明らかに間違っている。住所が、via Trieste 11となっているのに、via Trieste から脇に入った別の通りに印をつけたのだ。自分で調べていた店だったので、すぐに間違いに気づいたが、これも珍しいことではない。特に道案内。町中で道を尋ねると、親切に教えてくれるのはいいが、間違っていることが多いのだ。自信ありげに教えてくれるから、そのとおりに進んで間違っていたことが何度もあった。だから今ではイタリアで道を聞くときは必ず3人に聞くようにしている。

 日本人は相手の立場に立って考えること、周りに迷惑をかけないことを幼いころから教え込まれる。「おもてなし」の文化もその中からはぐくまれたのだろう。それ自体悪いことではないが(最近の若い親のしつけを見ていると、わがままで自己中心的な、他者への配慮に欠ける危険な人間が増えてしまう恐ろしさを感じる)、そのことにエネルギーを使うことによって失われている力(異質な他者に対して自己を保ち、主張する力、同質化を強要する文化[日本の社会はこの傾向が強い]に対抗して自分の生き方スタイルを貫く力)があることも忘れてはいけないと思う。

(湖の対岸からのマントヴァの眺め)

(サンタンドレア教会) アルベルティ設計の見事なルネサンス様式の教会。

(ソルデッロ広場)

かつて、街の政治、芸術の中心だった場所。西側に経つのがドゥカーレ宮殿。ヨーロッパ屈指の豪奢な宮殿で、ゴンザーガ家の居城。イザベラ・デステの肖像画(デッサン)もここでレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた

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