「リミニの歴史記念物」

 夏のイタリアの楽しみの一つジェラート。パリのフランスパンもそうだが、イタリアのジェラートもどこの店でも美味しいというわけではないが、数日その街に滞在すると必ずと言っていいほど好みの店に出会う。今回も素材にこだわる店に出会った(Gelateria 3Bis Rimini。偶然見つけたが、ロンドンにも支店がある)。たいていは、Frutti di boscoだが、たまには違ったものをとピスタッチオ100%のジェラートを試した。旨い!その店で一人のシンガポールから来た女性と出会った。歴史好きで、この街にある遺跡をいろいろ説明してくれる。昼間っから500ml白ワインを飲んでいたので、気のりはしなかったが、公園の中を通ってけば大丈夫、って言う話半分に聞いておかなきゃいけないおばさんの言葉にのせられて2キロを歩く。

 確かにアウグストゥスの凱旋門は見ごたえがあった。紀元前27年頃建設。高さ9.92m、幅8.45mの門。5つのアーチからなり、どっしりとした柱の上に建つティベリウス橋も、2千年前に造られた橋が今も現役として車が行き交っているのに驚かされた。第2次世界大戦中にリミニの大部分は爆撃を受け、街を囲んでいた壁や橋が被害を受けたが、他の橋が1度の攻撃で破壊されたのに対し、ティベリウス橋は幾度の攻撃を受けても破壊されなかったそう。そのことから「悪魔の橋」と呼ばれているらしい。が、やっぱり一番印象に残ったのはPiazza Tre Martiri(三人の殉教者広場)。ルビコン川を越えリミニを占領したシーザーが、兵士たちに訓示を与えたという広場で、シーザーの像も立っている。シーザーのあまりに早い進軍に恐れをなした元老院派は首都ローマを放棄しブリンディシからギリシアに渡ろうとする。そうなっては厄介とカエサルは、ブリンディシに急行するが間に合わず、いったんローマに行き態勢を整えた。そして内乱を平定したカエサルは終身独裁官につき改革を推し進めようとするが、その矢先に暗殺されてしまう。その一連の行動の出発点となったのがここリミニ。

 実はPiazza Tre Martiriが印象的だった理由はもう一つある。ここにある記念碑 ″Gloria ai caduti per la liberta″(自由のために亡くなった人々を讃えて)だ。中部イタリアや北イタリアではどの町でも必ずこういった第二次世界大戦でナチスドイツと戦った人々の記念碑を目にする。ムッソリーニ政権はナチスドイツ、日本と三国軍事同盟を結んでいたが、ムッソリーニ政権が倒れるとナチスはイタリアに進軍し占領。各地でレジスタンス闘争、パルチザン闘争が繰り広げられた。南部は、シチリアに上陸した連合軍によって解放されたが、中部以北では市民が自ら銃を取って立ち上がりナチスと戦った。その中で子供や老人を含む多くの市民が虐殺された。20年以上前に初めてフィレンツェを訪れたとき、町外れの記念碑を眺めていたら地元の老人が、「ここで子供3人がナチスに銃殺された」と説明してくれた。日本では、8月15日は「終戦記念日」だが、イタリアは4月25日が「イタリア解放記念日」(Anniversario della liberazione d’Italia)。イタリア人の、「自由」は自らの手で勝ち取るもの、という意識の強さはこのような歴史に由来するところ大なのだろう。

(「ティベリウス橋」)

(「アウグストゥスの凱旋門」)

(Piazza Tre Martiri)

(「カエサル像」Piazza Tre Martiri)


(″Gloria ai caduti per la liberta″ Piazza Tre Martiri)

0コメント

  • 1000 / 1000