「『永遠の都ローマ』の魅力」カンピドリオの丘②
ミケランジェロが設計した「コルドナータ」(傾斜路)は、ゆるやかな傾斜で膝にやさしい自然な勾配を造りだしている(馬も上がり下り出来るように、段差を低くし奥行きを深くした緩い斜面としたとも言われる)。勾配が尽きるあたりで左右に対をなして立っているのが巨大な「ディオスクロイ」の人馬の彫像。「ディオスクロイ」とは「ゼウスの息子たち」のことで、具体的には双子の兄弟カストルとポルックス。あまりなじみのない名前かもしれないが、双子座の最も明るい星がポルクス、2番目に明るい星がカストルである。
この兄弟の誕生は多くの画家によって描かれた。 どのようにして兄弟は誕生したのか?二人の父親はゼウス、母親はスパルタ王テュンダレオスの妃レダ。ゼウスは、自分が見初めた女性と様々に姿を変えて交わったが、レダの場合は白鳥。美しい女性が白鳥と交わるというのは、何とも刺激的な構図。デッサンしか残っていないが、レオナルド・ダ・ヴィンチも描いている。ヴェロネーゼもコレッジョもブーシェ(そのうちの1枚は、とても掲載できない)も描いた。セザンヌも描いている。そして、4個の卵から二組の双子(兄弟と姉妹)が誕生。カストル、ポルクスとクリュタイムネストラとヘレネである。この姉妹はトロヤ戦争で重要な役割を果たす。スパルタの王妃ヘレネは「パリスの審判」で最も美しい女神とされたヴィーナス(アフロディテ)によって見返りとしてパリス(トロヤの王子)に与えられたが、そのことがトロヤ戦争の原因となった。また、クリュタイムネストラは当時ギリシア最強国だったミュケナイ王アガメムノンの后となるが、娘のイピゲネイアを生贄に捧げられたことの復讐でトロヤ戦争から帰還したアガメムノンを殺害した(アイスキュロスの悲劇『アガメムノン』)。
ローマにおける双子の兄弟カストルとポルクス。カンピドリア広場の入口に人馬像があるだけではない。広場の裏手(古代には正面。ローマがキリスト教の都になる中で、広場はサン・ピエトロ大聖堂に向かうように改造された)にあるフォロ・ロマーノにも「カストルとポルックス神殿」(現在は3本の柱が残るのみ)がある。さらに、現在はイタリア共和国大統領官邸として使われているクイリナーレ宮殿があるクイリナーレ広場には、「ディオスクロイの泉」があり、オベリスクを囲むようにカストルとポルックスの人馬像が置かれている。なぜ、ローマの重要な場所にこの双子の兄弟に関わる建造物が存在するのか? 紀元前495年の「レギッルス湖畔の戦い」に関わっている。 七代続いた王政ローマは、最後の王タルクィニウス・スペルブスを追放し共和政がスタートした。しかし、エトルリア出身であったタルクィニウスはラティウム人たちに支援を求めたため、第一次ラティウム戦争が始まった。「レギッルス湖畔の戦い」はこの争中の最大の戦いとされる。そしてローマの伝説では、ディオスクーロイ(カストルとポルクス)が騎兵となってローマを勝利に導いたとされている。だから、ローマではこの兄弟は共和政の偉大なる守護者として賞賛され続けているのだ。偏狭なナショナリズムは御免だが、日本人ももっと愛郷心、愛国心を眼に見える形で表現してもいいように思うのだが(例えば、江戸城無血開城の事実上の立役者の一人山岡鉄舟を知っている日本人がどれだけいるのだろうか)。
ところで「すべての道はローマに通じる」と言われるが、ローマの中のどこに通じるのか。江戸の起点は日本橋、パリの起点はノートル・ダム大聖堂。ローマはカンピドリオなのだ。そして、このカンピドリオ(カピトリーノ、古代はカピトリウム)は、「キャピタル」(首都)、「キャピトル」(議事堂)の語源にもなっている。
( カンピドリオ広場のカストルとポルクスの像)
(レオナルド・ダ・ヴィンチ「レダと白鳥」デッサン チャッツワース デヴォンシャー・コレクション)
(チェーザレ・ダ・セスト「レダと白鳥」サウサンプトン ウィルトン・ハウス)
レオナルドの作品の模写
(ヴェロネーゼ「レダと白鳥」コルシカ フェッシュ美術館)
(コレッジオ「レダと白鳥」ベルリン国立美術館)
(セザンヌ「レダと白鳥」フィラデルフィア バーンズ・コレクション)
(「カストルとポルックス神殿」 フォロ・ロマーノ)
(クィリナーレ広場の噴水「ディオスクロイの泉」)
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