「『永遠の都ローマ』の魅力」カンピドリオの丘①
1786年9月3日、真夜中の3時にゲーテはボヘミア地方の保養地カールスバードをおひそかに旅立って、ローマへ向かった。ゲーテは、1775年26歳のときワイマール公国のカール・アウグスト公に招かれて以来、ワイマール公国の閣僚となりその地に留まることになった。ワイマールでの10年に及ぶ宮廷生活は、多忙な政務のため詩人としての彼の活動を逼塞させ、またシュタイン夫人への精神的な愛はしだいに重苦しさを加え、ついにこの時、だれにも告げずにイタリアへ遁走することになったのだ。
「ただひとり家令のフィリップ・ザイデルに行先を告げたのみで・・・追手を恐れるもののごとく商人ヨハン・フィリップ・メラーという仮の名を用いて、まっしぐらにイタリアの空をさして駅馬車を乗り継いで行った姿は、さながら磁石に吸い付けられる鉄片のようであった」(ゲーテ『イタリア紀行』)
そして、11月1日ローマに入った。
「そうだ、私はようやくにして世界の首都に到着したのだ。・・・・ティロールの峠は、いわば飛び越してきた。ヴェローナ、ヴィチェンツァ、パードヴァ、ヴェネツィアなどはよく見たが、フェッラーラ、チェント、ボローニャは駈足で通りすぎ、フィレンツェはほとんど見物しなかった。つまりローマへ行こうという欲求が余りに強く、しかも瞬間毎に高まって足を留める気にならず、フィレンツェには僅々三時間いたばかりだ」
ゲーテの関心は、イタリア全体というより、ローマに大きく傾いていた。だから、ローマに到着してようやく心は落ち着く。
「今やここに到着して心もしずまり、これで一生涯、気も落ち着いたかに見える。なぜなら部分的に熟知していたものを眼のあたりに全体としてながめるとき、そこには新しい生活が始まるものだ。青春時代のなべての夢は、いま目の前に生きている。」
ゲーテをここまでひきつけたローマの魅力を探ってみたい。まずは、カンピドリオの丘から。ムッソリーニが拡張したローマの街に不似合いなほど幅広なマルチェッロ劇場通りと歴史あるアラチェーリ通りが交差する地点から出発する。左に上る階段はサンタ・マリア・イン・アラチェーリ教会(この教会が建てられる以前は、ここがカンピドリオの丘の最も高い場所だった)へ続く。正面に上る階段があのミケランジェロが設計したカンピドリオ広場に至る「コルドナータ」(傾斜路)。ここから探っていこう。
(ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン「ローマ近郊におけるゲーテ」フランクフルト シュテーデル美術館)
(ジョセフ・カール・シュティーラー「ゲーテ」ミュンヘン ノイエ・ピナコテーク)
(カンピドリオ広場の下からの眺め)
(カンピドリオ広場の下からの眺め)
(カンピドリオ広場へ向かう「コルドナータ」《傾斜路》)
0コメント