「ルネサンスを生んだ『あくなき探究心』」

 イタリア・パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂。ここには、「西洋絵画の父」「近代絵画の祖」といわれるジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃―1337年)によるフレスコ画が描かれている。ジョットが「西洋絵画の父」「近代絵画の祖」と称されるのはなぜか?彼の革新性はどこにあったか? 

 それまでの西洋絵画は、形式的なビザンティン様式が支配的だった。絵画は「文盲の人々にキリストの物語が伝わればいい」という名目で描かれ、外面より内面、象徴性や図像が重要視され、リアルに描くことは忌避された。それに対し、ジョットは現実的で奥行きのある三次元的な空間を描き、生き生きとした動きや表情を持った人物を立体的に表現したのである。 16世紀後半の画家・伝記作家のジョルジョ・ヴァザーリは「それまでの洗練されていなかったビザンティン美術を徹底的に打ち壊し、現在見られるような現実味あふれる素晴らしい絵画をもたらした。」と絶賛した。 

 このことは、「聖母子像」、「十字架上のキリスト」という二つの主題について以下の3つの作品について比べてみるだけでその変遷がよくわかる。

 ①13世紀初頭の聖カタリナ修道院(シナイ山、エジプト)のイコン(ビザンティン美術) 聖カタリナ修道院は、6世紀に建立された、世界でも最古のキリスト教(正教)修道院の一つ 

②13世紀後半のコッポ・ディ・マルコヴァルド 名前を知りうる最初のフィレンツェ画家。フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂のモザイク装飾事業において中心的役割を果たしたと考えられている。

③13世紀末から14世紀初頭のジョット

 ところでジョットに見られるような絵画における写実性の獲得の背景には、「自分自身の頭で考え、感じ、理解する事の出来る日常言語」で説教をし、祈祷を行った聖フランチェスコによる宗教の革新があった。自分が感じ、考えた通りに表現する、その表現はどのようになされるべきか。「あくなき探究心」、これこそルネサンス精神の核心だが、それをもたらした最大の功労者と言ってもいいのが聖フランチェスコだった。それまで中世の教会によって押さえつけられてきた感性、知性が解き放たれた。見たい、知りたい、わかりたいという欲求が爆発した。それがルネサンス。その絵画界における先人がジョット、文学界ではダンテ。あくなき探究心の権化ともいえるレオナルド・ダ・ヴィンチもこの流れの中から登場する。

 ところで、今我々は、本当に物事を自分の心で感じ、自分の頭で考え、理解しているだろうか。中世の教会に相当するような強力な束縛装置はないのかもしれないが、過去の生育環境、現在の生活環境、教育、マスコミなどによって特定の思考様式に捉われていないだろうか。自覚的に自分自身の思考様式を意識化、対象化、相対化する努力を行っていかないと、主体的な理解、判断、表現など不可能だろう。逆に、それが行えた時、ルネサンスの時代に匹敵するような想像力、創造力の沸騰する状況を生み出すのも不可能ではないと思っているのだが。

(「スクロヴェーニ礼拝堂」パドヴァ)

 (13世紀初頭「十字架上のキリスト」シナイ山(エジプト)、聖カタリナ修道院)


(13世紀後半 コッポ・ディ・マルコヴァルド「十字架上のキリスト」サンッジミニャーノ 市立美術館)

(1290年代 ジョット「十字架上のキリスト」サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂 フィレンツェ)

(13世紀初頭「聖母子」シナイ山(エジプト)、聖カタリナ修道院)

(1261コッポ・ディ・マルコヴァルド聖母子「」サンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂 シエナ)

(1310年頃 ジョット「荘厳の聖母(オニサンティの聖母)」ウフィツィ美術館)

0コメント

  • 1000 / 1000