「『江戸前鰻』と『旅鰻』」
「江戸前」といえば今でこそ寿司や天ぷらの素材や調理法を指すことが多いが、もとはといえば鰻に対して使われる言葉だった。
「江戸前の 風を団扇で 叩き出し」
江戸前の美味しい鰻は、深川、神田川でとれた天然鰻を最上のものとした。 他の地方からくるものは「旅うなぎ」、「場違い鰻」、「送り鰻」と言って、「江戸後」(えどうしろ)として区別しており、江戸前の鰻より安かった。
「辻売の 鰻はみんな 江戸後ろ」
それでも、土用丑の日にはどこの鰻屋も大繁盛で、江戸の近在から鰻を入れた籠がいくつも運ばれてきた。
「丑の日に 籠でのり込む 旅うなぎ」
旅鰻を江戸前鰻に偽装することも行われたようだ。中国産を国産と偽るよりはましか。
「旅鰻 化粧につける 江戸の水」
では、次の川柳は何を意味しているのか?
「田楽か うなぎかと聞く 柳橋」
まず、柳橋が江戸時代どのような場所だったかを知る必要がある。柳橋は、江戸、明治期を通じて芸子、料亭の街であるとともに船宿の街だった。隅田川の納涼船も出たが、特に吉原通いは、ここから猪牙舟(ちょきぶね)で行くのが通人とされた。「田楽かうなぎか」というのは、行先を訪ねている。「田楽」は、吉原にあった真崎稲荷の周りの田楽茶屋のことで、吉原遊郭を意味。また「うなぎ」は、江戸前鰻の名産地深川のことで、意気で売った深川の辰巳芸者を指す。つまり、船頭が客に「吉原」に行くのか「深川」に行くのかを訪ねている川柳というわけだ。
梅雨が明け、うだるような暑さが続いている。こんなときは無性に鰻が食べたくなる。鰻が夏バテに効くことは古代から知られていたようで、万葉集にも大伴家持の歌が載っている。
「石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しといふものぞ 鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ」
土用丑の日にウナギを食べるようになった由来は諸説あるが、通説とされる源内説によるとこうだ。あるとき鰻屋の主から売り上げアップの相談を受けた源内は「本日土用丑の日」と半紙に書いてやった。丑の日には「う」のつく物(梅干し、うどん、瓜類など)を食べる習慣がもともとあり、それらを食べるのが夏の暑い時季に体に良いとされていたことに源内が目をつけ、「う」のつく鰻をクローズアップしたのだ。「本日土用丑の日」の張り紙は効果抜群!千客万来、店は大繁盛!現代でも土用の前には、輸入が増加するらしいが、値段は「鰻登り」しないでもらいたいものだ。
(大野麦風「うなぎ」)
(国芳「東都宮戸川之図」)宮戸川は隅田川の別称。遠くに筑波山を望み、葦が青々と茂る川に入って鰻掻きで鰻を獲る様子が描かれている。
(近世職人尽絵詞 うなぎ屋)
(勝川春亭「江戸前大蒲焼」)部分
(北斎『北斎漫画』「鰻登り」)
三匹巨大な鰻が鰻屋のまな板から職人の手をすり抜けて、天に昇っていく様子を描いている。幕府の経済政策の失敗による物価の高騰を暗に批判している、との説もある。いずれにせよ鰻は威勢のよさの象徴だったらしい。
(広重「江戸高名会亭尽 柳ばし夜景 万八」)
(歌麿「吾妻遊」猪牙舟) 「山谷堀 桐一葉」 山谷堀の猪牙舟と、見送る茶屋のおかみ
「よし原にまよへはお客さんやまて 猪(ちょ)の牙(き)の船にかけられてゆく」
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