「世界遺産の街マントヴァの魅力」②
「ルネサンスのプリマドンナ」と呼ばれたイザベラ・デステ。1474年フェラーラ公国の長女として生まれ、6歳にして政略結婚のためマントヴァ侯国のフェデリコ1世の長男と婚約。この時、フェラーラを訪れたマントヴァの特使は本国に次のように書き送っている。
「美しさ以上に感嘆すべきはその天賦の才であります」
それもそのはず。イザベラは、6歳にして当時の国際語であるラテン語、ギリシア語を流暢に話し、さらにドイツ語、スペイン語、フランス語、トルコ語も話せたと言われる。こまめに手紙を書き、現存するものだけで4万通にも及ぶ書簡が残っているが、それらを通して表現力、交渉力、政治感覚を養い、のちに巧みな政治力で小国マントヴァや実家フェラーラ公国を強大国から守っていく。『イザベッラ・デステ伝』の中で著者のマッシモ・フェリサッティはイザベラについてこう書いている。 「イザベッラの魅力のほどについては、同時代のすべてが同じ意見である。マクシミリアン皇帝(神聖ローマ帝国皇帝)は彼女に恋をしたといわれ、その帝国がアメリカからヨーロッパに至るまで太陽の沈んだことなしとされる偉大なカール5世は、やはり五十台と承知しながら、そのイザベッラに対し限りない感嘆の想いを寄せていた。フランスの3人の王(シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世)、5人の教皇(アレクサンドル6世、ユリウス2世、レオ10世、クレメンス7世、パウルス3世)、統領、王侯貴族、文人たちが競って彼女を敬い、追従し、褒めたたえている。」 1499年暮れ、ミラノを去ったレオナルド・ダ・ヴィンチが最初に寄った先がマントヴァの若き侯爵夫人、イザベラ・デステの宮廷だった。レオナルドはイザベラと互いによく知る間柄だった。1491年、イザベラはミラノで行われた妹のベアトリーチェ(イル・モーロより24歳年下)とルドヴィコ・イル・モーロの結婚式に参列している。この結婚祝典のために催された馬上槍試合の監督・演出を行ったのはイル・モーロに仕えていたレオナルドである。また、イル・モーロがベアトリーチェと結婚するまでほぼ10年間、ミラノ宮廷の花形的存在だったのがイル・モーロの若き愛人チェチーリア・ガッレラーニだった。レオナルドは、美貌と才気、柔和さを兼ね備えたこの貴婦人の有名な肖像画『白貂を抱く貴婦人』を描いているが、イザベラは1498年4月26日、チェチーリアに宛ててこの肖像画を送ってほしいと依頼の手紙を書いている。 「本日ジョヴァンニ・ベッリーニの制作になる数点のみごとな肖像画を見る機会に恵まれました。その折り、レオナルドの作品にも話が及びましたが、それにつけても両者の作品を見比べてみたいとの思いがつのり、はしなくもあなた様をモデルにして描いたという肖像画に思い至りました。なにとぞ、あなた様のその肖像画を一時拝借させていただきたく、本状持参の者にそれをお託し願えませんでしょうか。・・・」 チェチーリアはイザベラのこの申し出を受諾する。そしてチェチーリアの肖像画を見たイザベラは、自分の肖像画もレオナルドに頼もうと心に決めた。そして翌年の暮れ、ミラノに侵入したルイ12世のフランス軍から逃れたレオナルドがマントヴァに寄る。滞在は1ヶ月にも満たなかったようだが、この時イザベラのスケッチを描く。しかしその後、再三の催促(6年間にわたる)にもかかわらずレオナルドがこの肖像画を仕上げることはなかった。これまでは、こう考えられてきた。ところが、2013年10月、500年にわたって、歴史学者、美術史家がひたすら探し求めていたこの『イザベッラ・デステ』の完成版が、スイスのプライベート・コレクションから発見された、というニュースが流れた。本物かどうか研究者の間でも意見が分かれており、しばらく決着はつきそうにないが。個人的には、この件よりも、「なぜレオナルドはイザベラに対して距離を置き続けたのか」が気になる。1504年、レオナルドが女性の肖像画(「モナリザ」)を描き始めたというフィレンツェからの知らせに、居ても立ってもいられなくなったイザベラは、1506年フィレンツェを訪れる。フィレンツェの芸術家たちがこぞってイザベラを歓待する中、レオナルドはイザベラに会おうともせず、フィエゾレ(フィレンツェ近郊)にいて鳥の飛翔に関する研究に没頭していた。レオナルドとイザベラ、ルネサンスを代表する二人の関係を探ることから、それぞれの知られざる人物像も浮かび上がってくるように感じている。
(ティツィアーノ「ラ・ベッラ」フィレンツェ ピッティ宮殿 )部分
(アンブロジオ・プレディス「ベアトリーチェ・デステ」ミラノ アンブロジアーナ絵画館)
(レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く婦人」クラクフ チャルトリスキ美術館)
(ティツィアーノ「ラ・ベッラ」フィレンツェ ピッティ宮殿)
(ジャン・クリストフォロ・ロマーノ「イザベラ・デステ」スキンベル美術館 アメリカテキサス州フォートワース)
(レオナルド・ダ・ヴィンチ「イザベラ・デステ」ルーヴル美術館)スケッチ
(レオナルド・ダ・ヴィンチ ? 「イザベラ・デステ」)彩色された完成版?
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