「世界遺産の街マントヴァの魅力」①

 今年の夏、ローマとともに訪れようと思っているのが北イタリア・ロンバルディア州の街マントヴァ。イタリア最大の湖ガルダ湖から発したミンチョ川の水をせき止めて防衛設備として造った人口湖によって街の三方向を囲まれている。1490年にフェラーラから嫁したイザベラ・デステのもと、華やかなルネサンス文化を花開かせた。詩人のトルクアート・タッソは「マントヴァは非常に美しい都市で、マントヴァを見るために1000マイル旅行するほど値打ちがある。」と、1586年に書いている。  ここを訪れたいと思った第一の理由は、「テ宮殿 Palazzo Te」の「巨人の間」を見たかったから。

 一神教のキリスト教にあっては、神は唯一絶対であり、その力はすべてに先立って存在している。しかし、ギリシア神話の多神教の世界では、最高神ゼウスも支配権確立のために様々な戦いを勝ち抜かねばならなかった。まず、兄弟オリュンポス神族を率いて両親の兄弟ティタン神族と10年間戦う(「ティタノマキア」)。そして、勝利したゼウスは敗れたティタン神族を地底に閉じ込めてしまう。これに怒ったのが、ティタン神族の母ガイア。自身とウラノスのペニス(息子クロノスによって切られた。このペニスが海に落ちてその泡から生まれたのがアフロディテ=ヴィーナス)からほとばしった血によって生まれた「ギガンテス」(両足が二股の蛇状の巨人。Gigantes。「giga ギガ」や「giants ジャイアンツ」の語源)を送りこむ。オリュンポス神族は、神々の力だけでは巨人族に勝てない。その時、ゼウスに降った予言。

         「勝利のためには人間の協力が必要である」

 ゼウスは、人間の女性アルクメと交わり息子を誕生させる。それがギリシア神話最強の英雄ヘラクレス。彼の協力によってゼウスは「ギガントマア」(ギガンテス=巨族とオリュンポスの神々との戦い)にも勝利する。この「ギガントマキア」の場面(「巨人族の没落」)が、部屋の壁、天井一面に描かれているのがマントヴァにある「テ宮殿」の「巨人の間」なのだ。描いたのはラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノ。世界最強の破壊力を持った武器「ケラウノス」(雷霆)で巨人族の神殿を破壊するゼウス。倒壊した神殿の下敷きになって滅んでいく巨人族。それらが、大迫力の画面で展開する。これをずっと見たいと思ってきた。 また、ギリシア神話と言えば、「テ宮殿」には「プシュケーの間」もあり、やはりジュリア・ロマーノが「プシュケーの結婚」を描いている。ローマのファルネジーナ荘の「プシュケのギャラリー」(これもジュリア・ロマーノ作)とともにプシュケの物語を描いた代表的絵画だ。

 マントヴァは少年時代のモーツァルトも訪れている。レオポルトは13歳の息子モーツァルトの音楽修行の最期のステップとして、オペラ発祥の地、器楽隆盛の地イタリアを巡歴する。その途中、1770年1月モーツァルト父子はマントヴァを訪れる。1月10日に到着。そして、1月16日には前年の12月に完成したばかりの「学術劇場」(「ビビエナ劇場」 Teatro Accademico Bibiena)で定期演奏会に招かれる。そして「この種類のものではこれ以上素晴らしいものは一生涯見たこともない」(レオポルト)この劇場で、モーツアルトの作品が紹介され、演奏が披露された。その時の人々の反応をレオポルトは妻への手紙でこう記している。

 「大勢の人たち、喝采、拍手、怒号、それにブラヴォーにつぐブラヴォー。要するに満堂の喝采、それに聴衆が示した驚嘆ぶりはなかなかうまく説明できるものではなかった」

 しかし、ここに限らずイタリアでの音楽会はドイツやフランス、イギリスとは異なり収入とは結び付かなかった。1月19日、モーツァルト父子はマントヴァを後にして、クレモーナに向かう。

 マントヴァはレオナルド・ダ・ヴィンチとも関りがある。1482年から1499年までミラノ公国で活動したレオナルドは、フランス軍との戦いに敗れたミラノ公国を逃れヴェネツィアに避難するが、その途中マントヴァに滞在している。シェイクスピアは、『ロミオとジュリエット』のなかで、誤ってティボルトを殺害し町から追放されたロミオをマントヴァに向かわせている。またジュゼッペ・ヴェルディの地位を決定づけた傑作オペラ「リゴレット」も、16世紀のマントヴァが舞台。マントヴァがイタリアの小都市国家でありながら多くの人々を惹きつけたのはなぜか。それはマントヴァが芸術の町として栄えていたから。そしてその基礎をつくったのが、イザベラ・デステだった。

(世界遺産の街マントヴァ)

 (「テ宮殿」)

(「巨人の間」テ宮殿)

(「巨人の間」テ宮殿)

(サヴァリオ・ダッラ・ローザ「モーツァルト」個人蔵) 1771年(14歳)頃のモーツァルト

(「学術劇場」 Teatro Accademico Bibiena) ここでモーツァルトは14曲を演奏した

(レオナルド・ダ・ヴィンチ「イザベラ・デステ」ルーヴル美術館)

(ティツィアーノ「イザベラ・デステ」ウィーン美術史美術館)

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