「泥より出でて泥に染まらぬ蓮」②
蓮の花は、咲き始めてから4日目の午前中にすべて散る。咲くのは早朝だ。
「曉のめをさまさせよはすの花」(乙州[おとくに])
『江戸名所花暦』の「不忍池」についての記述にこうある。
「花盛りのころは、朝まだきより遊客(ゆうかく)、開花を見んとて賑はふ。実に東雲(しのの
め)のころは、匂ひことにかんばしく、また紅白の蓮花(れんげ)、朝日に映ずる光景(ありさ
ま)、たとへんに物なし。」
幸田露伴も『五重塔』のなかで、不忍池の夏の情景をこう描いている。
「紅蓮白蓮(ぐれんびゃくれん)の香(におい)ゆかしく衣袂(たもと)に裾に薫り来
て、 浮葉(うきは)に露の玉動(ゆら)ぎ立葉(たちば)に風の軟吹(そよふ)ける面白の夏の
眺望(ながめ)』
ハスは花姿を楽しむだけでなく、心まで清めてくれるかのようなやさわやかな香気を楽しむ。
「はちす咲くあたりの風のかほりあひて 心のみづを澄す池かな」(藤原定家)
蓮が最も芳香を放つのは、茎二寸伸びた所だそうだ。
「蓮の香や水をはなるる茎二寸」(蕪村)
探梅も純粋に香りを楽しむ人々は、新しい着物を纏って夜出かけたようだが、蓮も夕涼みがてらその香りを味わうのもいい。
「夜の闇にひろがる蓮の匂ひ哉」(子規)
漱石は、蓮についてこんな俳句を残している。
「ほのぼのと 舟押し出すや 蓮の中」
この「舟」は、「蓮見舟」のこと。わざわざ舟を出したのは、花や香りを楽しむ以上に《蓮の開花音》を聞くことが目的だったようだ。
「暁に音して匂ふ蓮かな」(潮十子)
「蓮開く音聞く人か朝まだき」(子規)
「朝風にぱくりぱくりと蓮開く」(子規)
「花が開くときにはポンっと音がする」と言われ、「開花音を聞けば,悟りが開ける,地獄に堕ちず成仏できる」などと言い伝えられてきた。詩や小説にも書かれている。
「静けき朝音たてて白き蓮花のさくきぬ」(石川啄木)
「朝ごとに上野の忍ばずの池では、蓮華の蕾が可憐な爆音を立てて花を開いた」
(川端康成の短編集『掌(てのひら)小説』の「帽子事件」。「可憐な爆音」て、奇妙な表現に感
じてしまうが)
しかし、実際には蓮の開花音があるわけではないようだ。昭和10年7月23日,牧野富太郎や大賀一郎博士たち十数名が東京不忍池で実地検証を試みた。結果は無音説に軍配。こういう決着のつけ方、あまり粋な感じがしないが。
いずれにせよ、蓮は目、鼻、耳を刺激してくれる。それだけじゃない。舌も楽しませてくれる。「蓮飯」である。餅米とハスの実を混ぜて蒸したものを、ハスの葉で包み、再び蒸したもので、ハスの葉を開くとパッと葉の香がたつ。身も心も綺麗になりそうな食べ物だ。まだ体験したことはないが、「象鼻杯(ぞうびはい)」という習慣もあった。これは古代中国、三国志の魏の国由来の酒の飲み方。ハスの葉に穴を開け、管状の茎にお酒を通して飲むことでハスの香りが加わり、ハスの青い香りで夏の暑さを軽減する暑気払い。ハスを持ち上げた姿が、象が鼻を持ち上げた姿と似ていたことから、象鼻杯と名付けられた。鎌倉の光明寺の観蓮会でも体験できるようだ。エアコン依存症から解放されて、五感を刺激する多様な暑気払いを味わいたいものだ。
(川瀬巴水「芝弁天池」)
「昭和の広重」とも呼ばれた川瀬巴水(はすい)の代表作。場所は、不忍池ではなく芝増上寺の弁天池。今ではこの当時の面影は全く見られないが。これだけ池をおおいつくすと、不気味な気配すら感じる。川瀬巴水は国内より海外での評価が高く、葛飾北斎や歌川広重と並び称される人気がある。スティーブ・ジョブズが彼の作品を収集していたこともあって、最近注目されてきているようだが。
(小林清親「不忍弁天社の朝景色」)
これも大好きな絵。蓮に埋め尽くされた夏の早朝の不忍池を描いた小林清親の作品、。こんな光景を目の当たりにしたら、言葉を失いじっと立ち尽くしてしまうだろう。
(北斎「東都名所一覧 不忍池」) 蓮の葉の採集
(英泉「江戸名所尽くし 不忍池弁財天 蓮看之景」) 夜明けの蓮見
(「江戸名所図会 不忍池 蓮見」)茶屋で蓮飯を味わいながら蓮見を楽しむ人々
(広重「江戸高名会亭尽 下谷広小路」)
(国芳「本朝廿四孝 中将姫」)
中将姫は美貌と才能に恵まれていたが、継母にいじめられ、奈良の当麻寺に入り尼となる。その後、仏の助力を得て一夜で蓮の茎の糸で当麻曼荼羅を織りあげ、若くして極楽往生を遂げたと言われる。採取した蓮の葉を手にした中将姫が描かれている。
(月岡芳年「皇国二十四功 当麻寺の中将媛」)
中将姫の傍らにる蛇は、中将姫をいじめぬき、殺そうとまでした継母の姿であろう。
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