「江戸の夏と蚊帳」
蛍が夏のありがたい風物詩なら、蚊は嫌われ者の代名詞。松平定信による寛政の改革を諷刺した有名な狂歌。質素倹約を徹底させる為に勉強(文)しろ、身体を鍛えろ(武術)と文武を奨励したこの改革を揶揄している。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶ(文武)ぶんぶといふて夜も眠れず」
特に蚊が多く発生したのは本所割下水(「割下水」とは、水はけのために造られた排水路。本所は田地だった所なので土地が湿っているため、水はけをよくするために割下水を造った。本所割下水で生まれた有名人といえば葛飾北斎)地域。
「蚊が蛍なら本所は歌所(うたどころ)」
江戸の中心部、市街地では梅雨のころからが蚊の季節で9月までは蚊に悩まされる。そのため夏の風物詩「蚊帳売り」は4月末には町に現れ、6、7月が盛りだった。売り声は「萌葱(もえぎ)の―――お蚊帳あ―――」と長く伸ばし、一唱で約半町(50メートル)進んだというから驚きだ。当然美声が求められるから、売り声の練習を積んでから商いに出た。
「声を売るように聞こえる夏の蚊帳」
もちろん客がついたときは、その声もショートカット。
「呼ばれたとみえて短い蚊帳の声」
ただし、萌黄の蚊帳は麻製で高価だったため、庶民は「紙帳」(しちょう)と言って、紙をはり合わせて作った蚊帳を使用した。
「月さすや 紙の蚊帳でも おれが家」(一茶)
蚊帳を描いた浮世絵でよく見かけるのが、蚊帳の中で耳を抑えている絵(例えば、歌麿『「蚊帳吊り」』)。これは、雷が鳴った場面。蚊帳に入ると落雷を避けることができる、という俗信に基づいている。また、「蚊やき」を描いた絵もある。蚊帳に紛れ込んだ蚊を、燃やして退治するのだ。試したことはないが、こんな方法で蚊を退治できるとは何とも不思議な気がする。
ところで、蚊帳の外で蚊に刺されていることから、無視され不利な扱いを受けることや物事に関与できない位置に置かれることを「蚊帳の外」と言うが、浮世絵には「蚊帳の内外」というタイトルの絵が何枚もある。歌麿「蚊帳の内外」、春信「きぬぎぬの別れ(蚊帳の内外)」など。二人を隔てる距離感を蚊帳が象徴しているのだろうか二つの異質な世界を表わしているのだろうか。意味は分からなくても、どこか惹かれてしまう絵だ。
(歌麿「婦人泊まり客之図」)
(磯田湖龍齋「蚊帳を吊る女と猫」)
(歌麿「蚊帳吊り」)
(国貞「星の霜当世風俗 蚊帳」)
(春信「蚊焼き」)
(歌麿「蚊帳の内外」)
(春信「きぬぎぬの別れ(蚊帳の内外)」
(清長「当世遊里美人合 蚊帳の内外」)
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