「グアダルーペの聖母とコロンブス」
スペインの南西部エストレマドゥーラ州グアダルーペに世界遺産「サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院」がある。200年以上にもわたって、スペインの最も重要な修道院であり、今もこの修道院にある黒い聖母像「グアダルーペの聖母」を求めて、多くのキリスト教の信者が訪れている。この聖母について、この修道院ではこんな逸話が語り継がれている。
*「グアダルーペ」はアラビア語で「隠された川」という意味
13世紀後半ころのこと。グアダルーペに住む牛飼いが、放牧していた自分の牛の1頭が突然見当たらなくなったのに気がついた。牛飼いはいたるところを探しまわり、3日目にしてようやく川辺で見つけたが牛はすでに死んでいた。牛飼いがその牛に近づくと、突然彼の前に聖母が出現。そしてこう言った。「多くの人を呼び、この場所を掘りおこしなさい。あなたは私の像をみつけるでしょう。そしてこの場所に人が集まることができる教会を建てなさい」。言い終わると聖母はすぐに消えたが、驚くことに何と倒れていた牛が生き返ったのだ。牛飼いは聖母の言葉を信じて、人に手伝ってもらいその場所を掘り起こす。すると、聖母の言葉通り木製のイエス像を抱えた聖母像が出てきた。牛飼いは、聖母に言われた話を人に伝え、他の人と一緒に教会を建てた。
710年、イスラム国家ウマイヤ朝はジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸した。そして710年代の終わりまでに、ムスリム勢力はイベリア半島を北上し、カンタブリア山脈以北およびピレネー山脈以北までキリスト教勢力を追い詰めていった。この時、司祭たちが北方に逃れる際、彼らの手によってエストレマドゥーラにあるグアダルーペ川近くの丘に聖母マリア像が埋められたと伝えられる。 このグアダルーペの聖母のあるサンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院。イベリア半島のレコンキスタ当時、スペインのキリスト教徒たちの巡礼地となった。カスティリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世(カトリック両王)は23回も来訪している。
コロンブスとのかかわりも深い。第1回航海前にコロンブスは両王とここで2度会っている。また第1回航海の帰路。船が嵐に襲われ難破しそうになった時、コロンブスはグアダルーペの聖母に祈りを捧げる。そして無事に帰国することができたことに感謝し、第2回航海においてカリブの島の1つを「グアダルーペ島」と名付けた。第1回航海から戻ったコロンブスが旅の成功を感謝するためにまず訪れたのもサンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院。連れ戻ったインディオに洗礼を受けさせたのもここ。
スペインのカトリック信仰は、派手に飾られたマリア像ひとつ見ても、イタリアのそれとは大きく異なっているように感じる。それも8世紀から800年近く続いたレコンキスタ(国土回復運動)が深くかかわっているように思う。ナポレオンの時代まで廃止されることがなかったスペイン異端審問所とともに、スペインにおけるキリスト教信仰の在り方は一筋縄では理解できない。いずれ、異端審問所を多く描いたゴヤの絵画、版画を通して探ってみたい。
(「サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院」)
(「サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院」)内部
(「グアダルーペの聖母」サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院)
(「グアダルーペの聖母」サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院)
(グアドループ島)
コロンブスが「グアダルーペ島」と名付けた島。現在はフランス領。
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