「カエサルと『ウェヌス・ゲネトリクス(母なるヴィーナス)』」
ローマにおいて最初は菜園の守り神であったウェヌスは、のちにギリシアのアフロディテと同一視されて、愛の女神へと変化した。そしてローマのウェヌス崇拝の発展は、とくにアイネイアスの建国伝説によって促された。トロヤ戦争でギリシャに敗れたトロヤの唯一の生き残りアイネイアス一家はウェヌスの助けでトロヤを脱出し、苦労の末ローマにたどり着く。そしてアイネイアスの子孫ロムルスがローマを建国する。そしてアイネイアスを祖とするユリウス家に属するカエサルは、英雄アイネイアスの母ウェヌスを尊び、ウェヌス・ゲネトリクス(母なるウェヌス)の壮大な神殿をフォロ・ローマの隣接地に莫大な私財を投じて建立した。その経緯はこうだ。
ルビコン川を渡り、国家反逆者の烙印を押されたカエサルは、電光石火の勢いでローマに進軍。元老院派の軍トップのポンペイウスはローマ放棄を決断。決戦の場は、ギリシアのファルサロス。ポンペイウス軍5万に対してカエサル軍は2万3千。ポンペイウスは不敗将軍の上、長年カエサルの右腕だったラビエヌスを味方につけカエサルの手の内は知り尽くしている。よほどの独創的な作戦を駆使しなければ勝利は得られない。この時、カエサルはある誓約をする。「もしポンペイウスに勝利した暁にはユリウス家の守護神ウェヌス・ゲネトリクスに神殿を奉納する」と。ファルサロスの戦いに見事勝利し、引き続く戦いにも勝利し内乱を平定したカエサルは誓約通りウェヌス・ゲトリクスに神殿を完成させというわけだ。
紀元前46年8月、独裁官カエサルは4つの戦い(ガリア、エジプト、ポントス、北アフリカ)の勝利を祝う凱旋式典を4回、40日間にわたって執り行う。そして凱旋式最後の日の9月26日、「カエサル広場」(ルビコン川を渡る以前に、カエサルは帰国後の凱旋式を計画し、前54年、フォロ・ローマとスブラの間の土地を、600万セステルティウスで買収、総額一億セステルティウスを費やしてこのフォルムを建造した。紀元前52年に工事に着工。奥行き約160m、幅75m、総面積1万2千㎡におよび、ほぼフォロ・ロマーノに匹敵する広さを持っていた)の正面に立つ、カエサル家の守護神ウェヌス・ゲネトリクス神殿の奉献式を執り行う。現在は、廃墟の正面に立つ三本のコリント式円柱が残るのみ。ウェヌス・ゲネトリクス像も現存していないが、このタイプのヴィーナス像でとくに有名なルーヴル美術館にある模刻(1650年に南仏の町フレジュスで発掘されたため、「フレジュスタイプ」とも呼ばれる)に近いものだったようだ。
(カエサル広場のウェヌス・ゲネトリクス神殿【想像図】)
(「ウェヌス・ゲネトリクス」ルーヴル美術館)
左手に持っているのは「パリスの審判」のリンゴ。ヴィーナスが女神の中で一番美しいことを表わしている。
(「ウェヌス・ゲネトリクス」カピトリーノ美術館)
(「ウェヌス・ゲネトリクス」ゲッティ・ヴィラ マリブ ロサンゼルス)
(「カエサル像」カエサル広場前 ローマ)
(「カエサル広場」)
(「ウェヌス・ゲネトリクス神殿」カエサル広場 ローマ)
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