「パロス出航とユダヤ人追放令」

  コロンブスは西廻り航海を4回行ったが、出発した港は、第2回と第4回がカディス、第3回がセビリア。いずれもアンダルシアの主要港で、特にセビリアは後年スペインの新世界への探検交易航海の一大発着港になった。しかし第1回航海はこのいずれの港でもなかった。パロスである。なぜコロンブスはこの小さな港町を選んだのか。

 コロンブスがポルトガルからスペインにやってきて最初に訪れ、スペイン王室とのコネクションを作ってくれたラ・ラビダ修道院がパロスにあったこともあるだろう。また第1回航海の船隊の3隻のうちの2隻がパロスの町から供出されたこともある。パロスは無認可のアフリカ沿岸貿易によって潤っていたが、スペイン両王はコロンブスの探検航海の費用を切り詰めるために、これに目をつけ罰金の代償として1年間、2隻のカラベラ船(三本マストで三角帆を装備した外洋航行可能な帆船)の提供を命じたのだ。パロスが選ばれた理由はもうひとつある。この時、カディスやセビリアの港はある出航のために手一杯でコロンブスがそこを利用したくてもできなかったのだ。それはユダヤ人の強制移住である。この年の3月31日、4カ月の猶予期間をもってユダヤ教徒にキリスト教への改宗か国外退去を迫る王令が発せられた。追放理由は、「隠れてユダヤ教を信奉する邪なキリスト教徒」が存在するのはユダヤ教徒の悪影響があるためだ、というもの。つまり、ユダヤ人の追放自体が目的だったのではなく、ユダヤ人の改宗とコンベルソ(キリスト教へ改宗したユダヤ人)の「真の改宗」を促すことにあった。当時のスペインは、言語、歴史、法制度などを異にする複数の王国から構成されるモザイク国家。その政治的・社会的統合のためには、ユダヤ人(ユダヤ教徒)追放による宗教的統合は不可欠の手段だったのだ。この時出国したユダヤ人は10万前後。コロンブスが出港する8月3日は猶予期間の7月31日を過ぎていたが、まだユダヤ人の出国は続いていた。

 ところでコロンブスの計画は、最終的にイサベラ女王によってゴーサインが出されたが、それはあるコンベルソ(改宗ユダヤ人)の申し出による。フェルナンド王の出納長菅ルイス・デ・サンタンヘルである。宮廷の中で並ぶもののないほどの権力とアラゴン随一の財力を持っていた彼は常に嫉妬の的となり、宗教裁判所への密告は絶えなかった。1491年7月17日には、ついに宗教裁判所に召喚された。秘密裏にユダヤ教を守っている、との嫌疑のためである。この時は、フェルナンド王が強引にこの宗教裁判に介入し、嫌疑を解いたがその後も密告は続く。フェルナンド王とイサベラ女王は1497年5月30日、「サンタンヘルとその子孫を宗教裁判所に召喚してはならない」という前例のない終身免罪書まで発行した。それほどまでに当時のコンベルソへの風当たりは強かったのだ。

 それにしても、サンタンヘルはなぜ危険を冒してまでコロンブスの計画を実現しようとしたのか?多くの高官が反対していたうえ、成功の可能性は全く未知数だったのに。失敗すれば、王の寵愛も失い失脚、場合によっては処刑の可能性も高かった。やはり、強制移住させられるユダヤ人の移住先の新天地を求めてのことだったのか。現在世界中でユダヤ人が最も多く住む都市はどこか。エルサレムではない。ニューヨークだ(ニューヨークは別名「ジューヨーク」と呼ばれる)。統計元によって多少異なるが170万人以上のユダヤ人が居住している。また2007年におけるアメリカに居住するユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)は644万4000人というデータも存在し、ユダヤの本拠地イスラエルのユダヤ人人口は543万5800人をしのいでいる。サンタンヘルの願いがかなったのかもしれない。

(ゴヤ「異端審問の法廷」サン・フェルナンド・アカデミー マドリード)

陰鬱な雰囲気が漂う異端判決宣告式(auto da fé)の様子が描写されている。4人の被告人たちは高い三角帽子のコロザを被り、懺悔服のサンベニトを着ている。ゴヤはスペインの異端審問の冷酷かつ残虐な性質を描きつづけた。

(1492年8月3日 パロス出航)

左上に見えるのが、出発に先立ってミサをきいたサン・ホルヘ教会。

(現在のパロス)

コロンブス一行が出港した当時の船着き場は今はない。サン・ホルヘ教会は、塔を別にすればほぼ当時のまま。

(ハイメ・ウゲー「スペインを追放されるセファルディーム」バルセロナ大聖堂美術館)

(トマス・デ・トルケマダ)

1483年、初代スペイン異端審問所長官に任命。1492年の ユダヤ人追放令に大きな影響を及ぼす。在職18年間に約8000人を焚刑に処したと伝えられる。

(カトリック両王と異端審問長官トルケマーダ)  左上がトルケマーダ

(エミリオ・サラ・フランセス「ユダヤ人追放令を発するカトリック両王」グラナダ美術博物館) 両手を広げているのがトルケマダ

(ペドロ・ベルゲーテ「スペイン異端審問」プラド美術館)

(ルイス・デ・サンタンヘル)


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