「未知なる世界の探究者コロンブスとダ・ヴィンチ」
スペインの年代記作者(歴史家)フランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ(1511-1564)はこう記す。 「天地創造以来最大の事件は、キリストの受肉と死を除けば、インディアスの発見である」
(「インディアス」とは、スペイン人が発見、征服した中南米地方の総称。コロンブスはインド周辺諸国[インディアス]に到達したと信じていたためこう呼ばれるようになった)
コロンブスは世界を変えた。それまでお互いに知らなかった異なる世界を出会わせた。コロンブス以後、人々の大移動が起こり、文化の相互作用も始まった。いや、そんな軽い言葉で言い表せるようなものではない。アメリカ大陸では、原住民の大半が侵入してきた病気、略奪により滅亡に追い込まれたり、征服されたり、奴隷にされた。影響はアフリカにも及んだ。アメリカ大陸での労働力不足を補うために、何百万人ものアフリカ人が奴隷として新大陸に送られた。
そのことを念頭に置きつつも、世界を変えたコロンブスに対してレオナルド・ダ・ヴィンチに対して抱くのと同様の強い興味・関心がある。二人に共通するのは、未知なる世界の探求者という点。1492年10月21日、コロンブスは大西洋横断に成功し、カリブ海の一角に到着したが、その航海は今なお発見の最高のシンボルであり、発見に必要な勇気と信念のシンボルとなっている。なにしろ当時、大西洋は未知の海洋で、多くの人々はその果ては滝となって奈落に落ちていると信じていた。ましてや、その恐怖の大西洋を越えて東洋にたどり着こうなどという考えは、狂気の沙汰ともいうべきものだった。独立不羈の性格、向こう見ずで好奇心旺盛な精神なくして実現できるものではない。しかし、そんなコロンブスも彼の「インディアス事業」(西回りで東洋に至る航路)の支援をスペイン王室から取り付けまでに10年の歳月を要している。並の人間ならとうに心が折れてしまう時間。
コロンブスがポルトガルからスペインにうつって(1485年)西回り航路事業の実現に向けて準備、説得を続けていた頃、レオナルドはミラノで宮廷の仕事(楽器演奏者、宮廷画家、祝祭演出家、彫刻家、都市計画家、装飾画家など)に追われながら、それ以外の個人的研究にも取り組んでいた。「ウィトルウィウス的人体図」は理想的な比例の人体の探求(人間が四肢を広げると円の中に収まり、両手を広げ、両足をつけて立つと正方形に収まる)の成果だ。また、《魂の居所》の探求も行い、こんな言葉を残している。
「魂は、多くの者が考えてきたように体全体に広がって存在しているのではなく、完全にひとつの場所にあるのだ」
それを説明するために「頭蓋骨の習作」というデッサンも残しているが、その裏面に「調査すべき主題のリスト」を書いている。
「人間の発生について記述せよ。子宮の内部で何が人間を発生させるのか。なぜ8ヶ月の胎児は生き延びることが出来ないのか、記すこと。くしゃみとは何か。あくびとは何か。・・・・空腹 睡眠 喉の渇き 性欲 」
すさまじいまでの探究心。レオナルドの座右の銘はこうだった。
「愛は知識から生まれる。知れば知るほどそれだけ熱烈に愛するようになるのだ」
「鉄は使わなければ錆び、水は淀めば濁り、寒ければ凍るように、知性もまたはたらかせなければ堕落する」
対象こそ異なってはいたものの、レオナルドもコロンブスも未知なる世界のあくなき探究者だった。
(ホセ・マリア・オブレゴン「思索にふけるコロンブス」)
(ギルランダイオ「コロンブス」ジェノヴァ海軍博物館)
(アルカサル宮でカトリック両王に初めて謁見するコロンブス)
(ジョン・ヴァンデリン「コロンブスのサン・サルバドール島上陸」)
スペイン王室旗を掲げ、神の名の下に行われた領有宣言は、アポロ11号の月面着陸にまで続く、新世界到達の儀礼となった。
(アポロ11号月面着陸)
(ルイジ・パンパローニ「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」ウフィツィ美術館)
(レオナルド・ダ・ヴィンチ「頭蓋骨の習作」)
(レオナルド・ダ・ヴィンチ「妊娠5ヶ月の胎児」)
ダ・ヴィンチはこう記している。
「女性のなかには子宮とその胎児のゆえに偉大な神秘が潜んでいる」
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