「ヴィーナス VS プシュケ」①
ある国の王に3人の娘がいた。いずれも美女だったが、末の娘プシュケの美貌は完璧で、「美の女神ヴィーナスの再来」と謳われ、各地から人々がプシュケを拝みに来るようになった。そのため美の女神ヴィーナスに参詣する人がいなくなる。ヴィーナスが黙っているわけがない。息子エロス(クピド、アモール)に恐ろしい命令を下す。
「世界中で一番みじめでいやらしい男に、死ぬほど恋焦がれるようにさせよ」
ヴィーナスの報復方法というのは、どうしてこうも屈折しているというかストレートでないのだろう。パポス王キニュラスの王妃ケンクレイスが、目を見張るような美女に成長した娘スミュルナのことを「女神アフロディテよりも、自分の娘のほうが美しい」と口走ってしまった時は、怒りの矛先をケンクレイス本人に対してではなく、娘のスミュルナに向けた。なんと実の父であるキニュラスへの恋心をスミュルナに植え付けたのだ。また、自分と真逆な処女神アルテミス【ディアナ】(処女の誓いを立てた者だけをそばに置き、男など汚らわしいと感じる潔癖症)を崇めるヒッポリュトスには、やはり本人に対してではなく父(アテネの英雄テセウス)の再婚相手つまり義理の母親のパイドラにヒッポリュトスへの恋心を植え付けた。こんなことされたら、ストレートに本人を殺害するのに比べ、どれほど多くの人々を苦しませることか(だから悲劇の名作も生まれるのだろうが)。ヴィーナスはそれを面白がるような残忍さを備えている。
ところが、今回のケースではヴィーナスの思い通りに事が運ばない。エロスが、ヴィーナスの命令を果たそうとプシュケに向けて黄金の矢を放とうとした時のこと。誤って自分自身を矢で傷つけてしまったのだ。プシュケの美貌に翻弄、幻惑され手元がくるってしまったからだ。エロスは、たちまちプシュケへの恋の虜になってしまう。
しかし、こんなプシュケの美貌は、親の悩みの原因でもあった。姉たちはそれぞれ幸福な結婚をして、王の妃になっていたが、プシュケはいつまでたっても誰からも求婚されない(これもヴィーナスの仕業のようだが)。悩んだ両親はアポロンの神託を仰ぐ。しかし、下った神託は両親を驚かせる恐ろしいものだった。
「娘を高い岩山の上に置き去りにせよ。そこで娘は神も恐れる夫に出会う」
この夫とは、ゼウスですら恐れる愛の神エロスのことであり、この託宣も実はエロスがデルポイの神託官アポロンに頼んで仕組んだものだった。しかし、プシュケの両親は、「娘を怪物の餌食にせよ」とアポロンが命じたものと思い込み悲嘆にくれる。しかし、神の命令には逆らえない。プシュケを高い岩山に運び、置き去りにする。すると、突然、西風が吹き、彼女の体を深い谷間の立派な宮殿に運んで行った。そしてその宮殿には満ち足りた生活が用意されていた。無数の宝に囲まれ、姿の見えぬ召使たちにかしずかれる夢のような生活。夜になると決して姿を見せない夫がやってきて、暗闇の中で心を込めて彼女を愛し、そして空が明るくなる前に去っていく。しかし、妹の素晴らしい暮らしぶりに嫉妬した姉たちから、「夫が姿を隠すのは恐ろしい怪物だからではないの?」と吹き込まれ、プシュケの心に疑惑が生じる。そしてある夜、見てはいけないという夫の言いつけを破って、ランプの明かりで夫の姿を確かめる。なんと、明かりに照らされた夫は、神々の中でも最も美しいエロスだったのだ。プシュケは思わずランプの油を一滴エロスの肩にこぼしてしまう。驚いて目を覚ましたエロスは妻が約束を破ったことに怒り、プシュケを残して天高く飛び去ってしまった。
(シモン ヴーエ「キューピッドとプシュケ」リヨン美術館)
姉たちにそそのかされ、エロスの姿を見てしまうプシュケ。怪物ではないかという不安から、ナイフを手に握っている。
(アレッサンドロ・アローリ「ヴィーナスとエロス」ファーブル美術館
(マルカントニオ・フランチェスキーニ「アドニスの誕生」ウィーン リヒテンシュタイン美術館)
王の子を身ごもったスミュルナは怒った王の追手から逃げきれず没薬の木に変身し、アドニスを産む
(カバネル「フェードル」ファーブル美術館)
自分の想いをヒッポリュトスに伝えるも、「汚らわしい!」と激しく拒絶され絶望したパイドラは、「ヒッポリュトスが自分を誘惑した」と夫テセウスに嘘を伝え、そして自殺する
(ラファエロと工房「ヴィーナスのクピド」ヴィッラ・ファルネジーナ)
この世で最も醜い男にプシュケが恋するように、プシュケに矢を射るようにクピドに命じるヴィーナス
(プリュードン「西風ゼフュロスに運ばれるプシュケ」ルーヴル美術館)
(フランソア・エドワード・ピコット「エロスとプシュケ」)
姿を知られないように、夜が明ける前にエロスはプシュケのもとから去る
(ヤコポ・ツッキ「キューピッドとプシュケー」ローマ ボルゲーゼ美術館)
姉たちにそそのかされ、エロスの姿を見てしまうプシュケ
(シャルル・アントワーヌ・コワペル「プシュケのもとから去るエロス」リール宮殿美術館)
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