「ヴィーナスとローマ建国」②
ヴィーナスに母性という語は似つかわしくないかもしれない。しかし、彼女も世の母親同様、我が子へ注ぐ愛情はいじらしいほどだ。トロヤ戦争で、ヘクトールに次ぐトロヤ陣営の英雄と言えばアイネイアスだが、ヴィーナスがトロヤ王族のアンキセスとの間にもうけた子だ。トロヤが陥落した際、父アンキセスを背負い、幼子アスカニウスの手を引いてヴィーナスの助けによって燃えさかる都を脱出する。イタリアを目指すが、北アフリカのカルタゴに漂着。カルタゴと言えば、後にイタリアと3度にわたってポエニ戦争を戦う(ハンニバルはカルタゴの名将)が、建国したのはディド。この女王ディドによってアイネイアスは歓待されるが、これはヴィーナスの計らいによる。アイネイアスの身に危険が及ぶことを恐れたヴィーナスがクピド(エロス)に命じてディドに彼に対する愛を吹き込ませたのだ。二人は愛し合うが、それも束の間。イタリア半島に向かうように神託を下していたユピテル(ゼウス)が、メルクリウス(ヘルメス)を派遣してアイネイアスに神託の実行を促したからだ。アイネイアスはイタリア行きを決意し、ディドを捨てて出発。アイネイアスに裏切られたディドは、悲嘆の余り自ら命を絶ってしまう。
イタリアへたどりついたアイネイアスは、クマエで女予言者シビュラの指示で冥界へ下る。そこで亡き父アンキセスの霊によって(アンキセスはすでにシチリアで病死)、ローマの祖先となる自らの使命を予言される。地上に戻ったアイネイアスは、王ラティヌスが治めるラティウムに到着。王の一人娘ラウィニアと婚約するが、先に彼女と婚約していたトゥルヌスが軍を起こす。様々な勢力が加わり、アイネイアス軍とトゥルヌス軍の攻防が繰り広げられるが、最後は一騎打ちでアイネイアスがトゥルヌスを討ち取って戦いは終わる。この戦いの直前、ヴィーナスは夫ウルカヌス(ヘパイストス)に頼んでアイネイアスのために武具をつくってもらい、アイネイアスに渡している。神が作った武具を身につけたアイネイアスがトゥルヌスに勝つのも当然だ。夫を裏切って浮気を繰り返すヴィーナスが、息子のために夫ウルカヌスに武具の制作を依頼する姿は、親バカ以外の何物でもないが、これもヴィーナスの一面(ヴィーナスの依頼に応えてしまうウルカヌスもウルカヌスだが)。
アイネイアスはラウィニアと結婚し、新しい市を創建し、妻の名をとってラウィニウムと名付けた。アイネイアスは死ぬときに、母ヴィーナスによって身を清められ神になったとされるが、その後、息子アスカニウスはラウィニウムを義母ラウィニアに譲って、自分は少し東に行った地で新都市を建設。これが、アルバ・ロンガ。ラティウム全体は、アイネイアスとラウィニアとの間に生まれたシルウィウス王の末裔によって収められたが、王宮がアルバ・ロンガに置かれたので、彼らはアルバ王と呼ばれた。そして、シルウィウス王から十数代後、ヌミトル王の娘レア・シルウィアが軍神マルスと交わってできた子ロムルスがローマを建国するのである。ところで、アスカニウスはアルバ・ロンガ建設時に、名前をラテン名に変えた。ユルス。ローマの名家ユリウス家はこのユルスの直系の子孫と主張していた。そしてのちにこの一族から現れるのがユリウス・カエサルである。カエサルが自らをヴィーナスの子孫と主張していたのはこう言う事情だったのだ。
(ピエール・ナルシス・ゲラン「ディドにトロイ陥落の話をするアイネイアス」ルーヴル美術館)
(ピエトロ・ダコルトーナ「アイネイアスの前に現れるヴィーナス」ルーヴル美術館) 狩人姿で現れたヴィーナスが、この地を治めるディドについての情報をアイネイアスに教える。
(ナサニエル・ダンス・ホーランド「ディドに会うアイネイアス」テート・ブリテン)
(ティエポロ「アスカニウスに扮したクピドをディドに紹介するアイネイアス」ヴィラ・ヴァルマラーナ ヴィンツェンツァ) このクピドが、ディドにアイネイアスへの愛を吹き込む。
(ティエポロ「カルタゴを去るように言うメルクリウス」ヴィラ・ヴァルマラーナ ヴィンツェンツァ)
(ジョゼフ・スタラールト「ディドの死」ベルギー王立美術館)
(オーギュスタン・カイヨー「ディドの死」ルーヴル美術館)
(ル・ナン兄弟「ウルカヌスの鍛冶場を訪れるヴィーナス」ランス美術館)
こんなしおらしいヴィーナスに頼まれたら、ウルカヌスも引きうけざるを得ないか
(ブーシェ「ウルカヌスにアイネイアスの武具を依頼するヴィーナス」ルーヴル美術館)
(ニコラ・プッサン「アイネイアスに武具を示すヴィーナス」ルーアン美術館)
(ジャコモ・デル・ポー「アイネイアスとトゥルヌスの戦い」ロサンゼルス・カウンティ美術館)
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