「ヴィーナスと『愛のキューピッド』」

 「キューピッド」とはローマ神話の恋の神「クピド」(ギリシャ神話の「エロス」)の英語名。弓矢を持つ裸の有翼の少年で、その矢に当たった者は恋心を起こす。実はこのエロス、ヴィーナス(アフロディテ)に常に付き従い、ヴィーナスの子と考えられているが、そのように見なされるようになったのはローマ時代の2世紀ごろのこと。もともとは、世界の始まりであるカオスから誕生した、最も古い神のひとり。世界を創り出すためには、男女を愛の力で結び付けて子孫を増やす必要があったが、エロスは原初の神々を結びつけて種族を誕生させる根源的な存在だったのだ。イメージも、美しい青年から、今我々がイメージするいたずら好きの幼児へと変貌していった。

 エロスの武器は強力な矢。人間だけでなく神さえも支配されるほどの力を持つ。しかも、人の感情を操る矢は2種類。黄金の矢と鉛の矢。黄金の矢で射られた者は、その直後に見た者にたちまち恋に落ちる。他方、鉛の矢で射られたものは、相手に嫌悪感を抱いてしまう。だから、その2本の矢が同時に放たれた時悲劇が起こる。有名な「アポロンとダフネ」の物語がそれだ。話はアポロンと大蛇ピュトンの戦いにさかのぼる。

 アポロンと言えば、予言の神としてゼウスの意志を人間に伝える存在。それを行っていたのが「デルポイの神託所」。ここはもともとは、ガイアのもので大蛇ピュトンが守っていた。アポロンはピュトンを射殺して、「デルポイの神託所」を自分のものにしたのだ。この時、加勢しようとしたエロスにアポロンは「 そんな小さな弓は役に立たない」と口にしてしまう。怒ったエロスは、自分の持っている矢の強力さを知らしめるために、アポロンとダフネが一緒のときに、アポロンに黄金の矢、ダフネに鉛の矢を放ったのだ。恋心を生む黄金の矢を射られたアポロは、相手を嫌う鉛の矢を受けたダフネを追いかける。必死に逃げるダフネだが、その力も限界に達し、川岸に達する。精根尽き果てたダフネは川の神である父ペネウスに懇願する。ダフネは月桂樹へと姿を変えた。悲しむアポロンは「せめて私の樹になっておくれ」と月桂樹を自分の神木にした。月桂樹がアポロンのアトリビュートとなった由来である。

 ところで、美と愛の女神ヴィーナスの武器は、このエロス(クピド)の矢。ヴィーナスに気に入られた者はこの矢のおかげで恋を成就させる。しかし、ヴィーナスの怒りを買うととんでもないことに。自分の息子や父親を恋することにもなり(義理の息子ヒッポリュトスを愛したパイドラ、父親キニュラスを愛したスミュルナ)大きな悲劇を生んでしまう。ところでマヨネーズで有名な「キューピー」。1909年にアメリカのイラストレーター、ローズ・オニールがキューピッド(クピド、エロス)をモチーフとしたイラストで発表したキャラクター。かわいいだけのイメージだが、そこはヴィーナスの息子。そんな単純な存在ではない。

(コルネリス・ド・フォス 「アポロンとピュトン」)

(パルミジャニーノ「弓を作るキューピッド」ウィーン美術史美術館)

(ブーグロー「クーピドー」個人蔵)

(ポッライウォーロ 「アポロンとダフネ」ロンドン ナショナル・ギャラリー )

(ルーカス・クラナッハ「ヴィーナスと蜂蜜を盗むクピド」ロンドン ナショナル・ギャラリー)

蜂蜜(=つかの間の愛の喜び)は、悲しみと痛みでわれわれを傷つける、という教訓を表現

(グイド・レーニ「横たわるヴィーナスとクピド」ドレスデン アルテ・マイスター絵画館)

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