「ヴィーナス、ピグマリオン、『マイ・フェア・レディ』」
『マイ・フェア・レディ』は、オードリー・ヘップバーン主演で、日本でも大ヒットしたミュージカル映画。ストーリーはこうだ。音声学の教授ヒギンズが友人と賭けをして、ロンドンの下町訛り丸出しの無知で無教養の花売り娘イライザを、短期間でレディに仕立て上げることにする。イライザは期待通り変身していくが、いつしかヒギンズはその美しい貴婦人ぶりに惹かれていく。そして最後はふたりがむすばれハッピーエンド。この作品には原作がある。バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』だ。そして、「ピグマリオン」とはギリシャ神話に登場するキプロス島の王の名前。なぜこの王が、『マイ・フェア・レディ』につながっていくのか?
キプロス島と言えば、地中海ではシチリア島、サルデーニャ島に次いで3番目に大きな島だが、実はここはヴィーナス(アフロディテ)誕生の地なのだ。波の泡から生まれたヴィーナスは、貝の船に乗ってこの島に到着。島の人々はヴィーナスを崇拝するようになる。しかし、女神ヴィーナスを認めない一部の女性たちがいた。ヴィーナスは怒り、彼女たちを娼婦に変えてしまう。この島の王ピグマリオンは、彼女たちの恥知らずなふるまいを目にしているうちに、女性そのものに幻滅。そして現実の女性に失望したピグマリオンは、神々の間でも評判だった得意の彫刻の腕をふるって、自分が理想とする女性の像を象牙でこしらえた。そして、そのあまりの美しさに、なんと自分が彫った象牙の像に本気で恋をしてしまう。乙女の像を昼も夜も見つめ続け、食事のときは像と語らいながら食べた。宝石や美しい衣装で彼女を飾ったかと思うと、また裸身に戻したり、さらにはベッドに横にして添い寝までした。やがてこの島のヴィーナス祭の日がくる。ピグマリオンも祭壇に捧げ物に行き、どうか象牙の乙女のような花嫁を下さい、と祈る。炎が三度燃え上がる。ヴィーナスが同意したしるしだ。狂喜したピグマリオンは館に駆け戻り、彫像を抱きしめる。すると不思議なことに、象牙の像からは伝わるはずのない温もりが感じられたのだ。今度はそっと口づけを交わす。するとみるみるうちに像は人間へと変身を遂げ、優しく微笑みながらピグマリオンを見つめ返したのだ。彫像は生命を得たのだ!ピグマリオンはヴィーナスに感謝し、彼女にガラテアという名を授け、女神の隣席のもとにその乙女と結婚式を挙げた。翌年には子供も生まれた。
これがオウィディウス『変身物語』の要約である。この物語をもとに、バーナード・ショーが戯曲『ピグマリオン』を書いた。ただし、映画『マイ・フェア・レディ』とは異なって、ハッピーエンドにはなっていない。イライザはヒギンズの求愛を拒み、素朴な愛を捧げてくれる若者の胸へ飛び込んでいくのだ。こっちのほうがずっとリアリティがある。自分が理想とする女性が、自分を求めてくれるとは限らない。10歳のときから自分の理想の女性になるように教育され光源氏の妻とされた紫の上(若紫)だって、幸せな夫婦生活を送ったかどうか怪しいもんだ。苦悩と孤独を秘めた人生だったようだ。特に彼女の場合、光源氏が敬慕する藤壺の宮の代替だったのだからなおさらだ。
ところで教育心理学の用語に「ピグマリオン効果」というのがある。期待することによって、対象者からやる気が引き出され、成績が向上する現象をさすが、ギリシャ神話のピグマリオンの話に由来。「教師期待効果」ともいわれるが、逆に、周りから期待されていない対象者の成績や成果が、平均値を下回る現象を「ゴーレム効果」とよぶ。期待されないのも悲しいが、過剰な期待もまた迷惑千万。人をスポイルする。人をまっとうに育てるのは容易なことではない。
(ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」ウフィツィ美術館)
(ファルコネ「ピュグマリオーン」ルーヴル美術館)
(ジェローム「ピグマリオンとガラテア」メトロポリタン美術館)
下半身はいまだ象牙のままだが、上半身はしなやかに体をひねらせている。象牙の像が、生身の女性に生まれ変わる瞬間をジェロームは描き出した。
(エドワード バーン ジョーンズ「ピュグマリオンと彫像 思慕」バーミンガム市立美術館)
4連作の1枚目。
(エドワード バーン ジョーンズ「ピュグマリオンと彫像 触れられない手」バーミンガム市立美術館)
4連作の2枚目。
(エドワード バーン ジョーンズ「ピュグマリオンと彫像 命を与える女神」バーミンガム市立美術館)
4連作の3枚目。
(エドワード バーン ジョーンズ「ピュグマリオンと彫像 魂を得る」バーミンガム市立美術館)
4連作の4枚目。
(ブロンジーノ「ピュグマリオンとガラテイア」フィレンツェ ヴェッキオ宮殿)
牛を犠牲にしたヴィーナスの祭壇で炎が高く上がった場面
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