「夕涼みと団扇」
大川端(おおかわばた)とは隅田川の下流、特に吾妻橋から新大橋付近までの右岸一帯のことだが、鳥居清長はその大川端での夕涼みを見事に表現したが(「大川端の夕涼」)、バラエティに富んだ女性のしぐさ、巧みな遠近のコントラス、スケールの大きな構図が見事としか言えないのが歌麿の「大川端夕涼」。特に、女性の手の動きの多様さに驚かされる。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、イエスが「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」と言った瞬間の弟子たちの反応を描いているが、レオナルドは手の動きで複雑で多様な十二使徒の心の内を語らせた。そのことをゲーテは、「レオナルドが彼の絵に主として生気を与えるために用いた一つの偉大な工夫」と評したが、女性を知り尽くしたかのような歌麿の手のしぐさも素晴らしい。
ところで、「大川端夕涼」には団扇を手にした女性が二人いるが、それぞれの団扇は異なっている。「江戸団扇」と「京団扇」だ。浮世絵に描かれる団扇の大半は、骨から柄まですべてひとつの竹を細工して作る「江戸団扇」だが、竹ひごを並べた骨に地紙を貼り、別に誂えた柄を挿しこんで作る高級な「下りもの」(上方から江戸へ運ばれる品)の「京団扇」も登場頻度は多くはないが吉原の遊女などが手にするのを目にする(遊女たちの間では、涼を呼ぶとともに手元を彩る「京団扇」は夏から秋にかけての必須アイテムだった)。この京団扇を手にした歌麿の大首絵(浮世絵のうち,美人や役者の上半身や顔を大きく描写した絵)で傑作だと思うのは「五人美人愛敬競 松葉屋喜瀬川」。朝顔の絵の団扇を持った遊女の喜瀬川は、顎に手をあててちょっと物想いにふけっているような表情。誰を想っているのか。よく見ないと気付かないが、左手首に何かが巻かれている。紙縒(こより)だ。願掛けや恋人との約束として髪や手首に紙縒を巻くのが流行ったようだが、これは「紙」を「神」にかけて、「神(紙、髪)かけて結ばれる」という意志表示だったようだ。そのほか、付け文に小石を入れて「恋し(小石)い」、糸を結んで「愛(糸)しい」などといった洒落たやり方もはやったそうだが、なんとも粋な想いの伝え方。
「五人美人愛敬競 松葉屋喜瀬川」も女性の名前は明記されていない。判じ絵だ。比較的わかりやすい。「松葉」と「矢」で「まつばや」。煙管が3分の2だけ出ているから「きせる」(3文字)の3分の2で「きせ」(2文字)。全く笑ってしまう。「川」は「かわ」。これをつなげれば「まつばやきせがわ(松葉屋喜瀬川)」。吉原の江戸町1丁目 松葉屋半左衛門抱えの遊女で、その美しさは多くの浮世絵師を魅了した。
(歌麿「大川端夕涼」)団扇を持った女性の内、左側が京団扇、右側が江戸団扇を手にしている。
(歌麿「高嶋おひさ」)団扇を持った美人画の傑作と言えばこれ。江戸団扇の魅力が際立っている。
(歌麿「婦人相学十躰 団扇を逆さに持つ女」)
「婦人相学十躰」(ふじんそうがくじったい)は、歌麿が女性の人相を見て、絵解き風にそれを10種に描き分けてみせる、という企画だったようだが、現在確認されている作品は五点のみ。このユニークなポーズで、歌麿はどんな婦人の気質の類型を表現しようとしたのだろうか。
(歌麿「「五人美人愛敬競」 松葉屋喜瀬川」)団扇の朝顔が、京団扇を江戸っ子好みの粋へ変えている。
(歌麿「青楼遊君合鏡 丁子屋内 雛鶴 雛松」)京団扇は雅。江戸っ子好みの粋とは異質。
(栄之「青楼美人六花仙 松葉屋喜瀬川」)
(豊国「美人七小町 松葉屋内喜瀬川」)
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