「隅田川の川開きと夕涼み」
夏のパリ滞在の何がうれしいって、夜布団をかぶって寝られること。ぐっすり寝られるから日中も10kmぐらい平気で歩けてしまう。昼間40度近くまで気温が上がっても最低気温は15度ぐらい。朝、焼き立てのパンを買いに行くときなど、半袖では寒いくらい。日中でも、天気が崩れるとウィンドブレーカーなしではいられない。それにひきかえ、日本の夏はとにかく蒸し暑い。エアコンは欠かせないが、外気との温度差で体調を崩しやすい。江戸時代、隅田川(大川)の近くに住んでいた江戸の庶民の多くは、夕方になると涼を求めて隅田川へ出かけた。特に賑やかだったのは両国橋の橋詰。5月28日から8月28日までが「川開き」で、その間は橋詰や堤で夜店を営むことが認められた。夜間、納涼船で隅田川に出ることも許された。特に初日は、享保10年(1725)から両国橋近辺で大々的に花火が打ち上げられるようになり、隅田川も屋形船や屋根船でごった返した。その様子を『守貞漫稿』は次のように記している。
「今夜初めて、両国橋の南辺において花火を上ぐるなり。諸人、見物の船多く、また陸にても群集す。今夜より、川岸の茶店、夜半に至るまでこれあり。軒ごと、絹張り行燈(あんどん)に種々の絵をかきたるを釣り、茶店・食店等、小提灯を多く掛くる」
ところで当時の「屋根船」は、今の屋形船のことで切妻の屋根がついた小型の船。窮屈だったようでこんな川柳が残っている。
「屋根舟のへさきへ立てのびをする」
それでも、川開きで屋根船に乗ろうとすれば1年前から予約しなければいけなかったようだ。では、次の川柳はどのような様子を詠んでいるのか?
「船頭の足音を聞くいい涼み」
これは「屋形船」を詠んだ川柳。「屋形船」とは、唐破風などの屋根を持つ、家一軒分ほどの大きな船だが、船頭は屋根の上に乗って、そこから棹を差して船を操っていた。だから「屋形船」の客は、頭上から船頭の足音が聞こえてきたのだ。
納涼船の船賃は安くない。屋根船でも、船頭一人乗りで一人300文(裏長屋の店賃=家賃の相場)、二人乗りで400文程度だった。庶民は、花火見物も見物料ただの橋の上。特等席はもちろん両国橋。押すな押すなの大混雑になったよう。こんな人混みの中に 、二本差しをさした武士は出かけられない。どうしても花火見物に行きたければ、町人のなりをして、刀をおいて出かけたそうだ。
(橋本貞秀「東都両国ばし夏景色」) 花火見物の人々で埋め尽くされた両国橋
(同上 部分)誇張しているとは思うが、これじゃあ刀を差した武士は危なくってしょうがない
(広重 「新撰江戸名所 両国納涼花火ノ図」)大きな船が「屋形船」
(作者不詳 「両国橋川開きの図」) 屋形船の屋根の上に乗った船頭たちの様子がよくわかる
(細田栄之「吉野丸船遊び」)屋形船の大きさがよくわかる。芸者衆の宴会準備の場面か。
(歌川房種「東都両国の夕涼」)金なんか無くたって、豊かな時間を過ごせた
(広重 「東都名所 両国夕すずみ」) 風に吹かれて、心地よさそう
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