「鳥居清長と『日本のヴィーナス』」

 江戸の四季折々の風俗を視覚的に伝える手段としてよく引用するのが鳥居清長の浮世絵。清長は、初めて美人画の背景に実際の江戸風景を写実的に描き「美人風俗画」と称される新しいスタイルの美人画を誕生させた。特に好きな絵は、夏日が続く最近のような気候になると頭に浮かぶ清長「大川端の夕涼」。一人は、床机台に腰掛け草履を脱いで足を広げてくつろいだ様子。立ったままのひとりは団扇であおいでいる。そぞろ歩く二人は手をつないでいるのが印象的。

 それにしても、清長の美人は日本人とは思えない体型。「清長美人」と言われる八頭身に近い長身・優雅な美人像は「江戸のヴィーナス」と讃えられた。天明期(1700年代後半)の平均的な女性は、身長140cm~150cmで6頭身。他方、清長の描き出す女性像は身長170cm以上、8,9頭身(10頭身に描いたものもある)はあり、「非現実的」なものであくまで理想型、憧れの姿だった。

 杉浦日向子は、「春信型美人」と「清長型美人」を比較し、こんなふうに述べている。「春信型美人」(笠森お仙など)は「少女型美人で、着せ替え人形のリカちゃんのような平板な体つき」「頭の大きい、幼児的な体型」「手足はあくまで細くて、抱きしめれば、折れそうにひ弱」「非現実的な妖精を思わせる」と。他方、20年後に出てくる「清長型美人」については「すらりとした、いかにも伸びやかに育ったという健康優良美女」「春信の少女タイプと比べると、もう少し成長した娘、しかもスポーツ系の娘さんということで、モデル・タイプ」「現代でいうと、ビーチ・リゾートの宣伝ポスターの主役になるような女の子」「全身がすっきりと、無駄な肉のない、洗練された体つき」だと。

 それにしても、清長はどうしてこのような長身の非現実的で理想化されたな美人画を描くようになったのか?長崎に入ってきた異国の文物や西洋画の影響ではないかといわれている。この頃、江戸は田沼意次の開国政策によって世界に開かれていて、様々なヨーロッパの文物も入ってきており、絵画においても遠近法や人体図などが知られるようになっていた。おそらく、時代の流行や好みに敏感だった浮世絵師の清長は、庶民の異国趣味に敏感に反応して八頭身美人をつくりあげたのではないか。

(清長「大川端の夕涼」)

(清長「美南見十二候 四月 品川沖の汐干) 「美南見」は「みなみ」で品川宿(遊郭)

(清長「当世遊里美人合 紅葉見)

(清長「待乳山の雪見」)

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