「ケルンの紋章と『東方三博士の礼拝』」

 ケルンの紋章には3つの王冠が描かれている。これは、ケルン大聖堂に保管されている 「東方三博士の遺骨」に由来するが、なぜ「王冠」なのか?聖書(マタイ福音書)には「マギ(博士)」とあるのみで、王であったことは全く示唆されていない。

「・・・東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上にとまった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(『新約聖書』マタイ福音書2章9節~11節)

 それは、6世紀初頭にアルル司教のカエサリウスによって彼らを王とする考えが広まったためだ。そうなると、「三王」は「キリスト教徒になった最初の王たち」として君主にとっての範例として篤い崇敬を集めるようになり、その聖遺物は神聖ローマ帝国においてとりわけ重要視されるようになっていったのである。こうして、三王の聖遺物は王権との密接な関係を確立して、13世紀末には市章に三つの王冠が加えられ、ケルン市のアイデンティティの中核をなすに至ったのだ。

 ところで、ケルンの市章にはこれ以外に、「11の黒い炎」が描かれている。これは何を意味するのか?聖ウルスラの殉教に関わる。聖ウルスラはケルンにおいて聖地ローマ巡礼の帰路に1万1000人の侍女たちとともに殉教したとされる伝説のブリタニア王女だが、「11の黒い炎」は殉教した1万1000人の侍女たちを表わしている(一つの炎が千人の乙女を表す)。カリブ海の西インド諸島にあるイギリスの海外領土(自治領)であるの旗にも、11個のランプが装飾として描かれているが、これもウルスラと共に殉教したとされる伝説の1万1千人の乙女を象徴している(ランプ1基が千人の乙女を表す)。ちなみに、ウルスラと彼女に従った乙女たちに因んで「ヴァージン諸島」と命名したのは、ヨーロッパ人として最初にこの島に到達したコロンブスである。

(ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ「東方三博士の礼拝」ウフィツィ美術館)

(ケルン市の紋章)

(ハンス・メムリンク「聖ウルスラの殉教」聖ヨハネ施療院 美術館[メムリンク美術館])

(ルーベンス「聖ウルスラの殉教」アメリカ フォートワース キンベル美術館)

(「守護聖女ウルスラ像」ケルン 聖ウルスラ教会)

(イギリス領ヴァージン諸島の旗)


0コメント

  • 1000 / 1000