「ケルン大聖堂と聖遺物」

 「ノートル・ダム大聖堂」と言うと、パリの大聖堂が浮かぶが、「ノートル・ダム」(=「我らが貴婦人」=聖母マリア)を冠する大聖堂は、世界遺産に指定されているフランスの大聖堂だけでも、シャルトル、ランス、アミアンにある。これらは、いずれもゴシック様式を代表する大聖堂である。「ゴシック」とは、後のルネサンスの人々が、この様式を軽蔑の意味を込めて野蛮人「ゴート族(Gothゴース)」の様式、すなわち「ゴシック」と呼んだことに由来するが、もちろんそれが不当な偏見であることはゴシック芸術を見れば明瞭だ。ゴシック建築は、パリを中心とする半径100キロメートルほどの地域「イル・ド・フランス」と呼ばれる地域で誕生し成熟し、その後ヨーロッパ全土に広がっていった(イギリスのカンタベリー大聖堂、ミラノのドゥオーモ、ウィーンのシュテファン寺院など。これらはいずれも世界遺産)。

 ところで、ゴシック様式の建築物として世界最大なのはケルン大聖堂である。最初の教会は4世紀に造られたが、12世紀後半にある聖遺物がおかれたことで多くの巡礼者を集め、1248年に現在の教会の建設がはじまった。その聖遺物とは、「東方三博士の遺骨」である。この「「東方三博士」とは「占星術の学者たち」として新約聖書のマタイ福音書に登場し、誕生したばかりのイエスを礼拝した人物たちだ。

「・・・東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上にとまった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(『新約聖書』マタイ福音書2章9節~11節)

 この聖遺物は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世「赤髭王」が、イタリア遠征により、ミラノから1164年に持ち帰ったものである。この特別に貴重な聖遺物のために黄金の聖遺物箱が制作され、聖遺物とその容器は多くの巡礼を集めることになったのだ。

 ところでケルンには聖遺物との関係で必ず訪れるべき教会がある。「聖ウルズラ教会」。見るべきは、教会本堂に入る手前の右側にある、「黄金の部屋」と通称される礼拝堂だ。 この聖堂は、ケルンにおいて聖地ローマ巡礼の帰路に1万1000人の侍女たちとともに殉教したとされる伝説のブリタニア王女聖ウルズラのために建設されたが、「黄金の部屋」には侍女たちの聖遺物が保管されている。その聖遺物を顕彰し、その尊さをわかりやすく表現するために、金銀がふんだんに用いられているから、その輝きに目を奪われがちだが、実はそれらの黄金の胸像はすべて聖遺物=遺骨が入った容器なのだ。よく見ると、壁面全面が人骨で埋め尽くされており、壁面のラテン語銘文も人骨によって構成されているのだ。現代の日本人からは、理解しづらい中世ヨーロッパ人の聖遺物信仰の姿を実感することができる異様な空間である。

(ボッティチェッリ 「東方三博士の礼拝」ウフィツィ美術館)

ジョット「東方三博士の礼拝」スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)

(ケルン大聖堂)二つの塔の高さは156m。40階建てビルに相当する。

(ケルン大聖堂)

(「三博士のものとされる遺骨を納めた黄金の棺」ケルン大聖堂)

(「聖ウルズラ教会」ケルン)

(「黄金の部屋」聖ウルズラ教会)

(「黄金の部屋」聖ウルズラ教会)

(「黄金の部屋」聖ウルズラ教会)壁面をおおいつくす人骨


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