「英仏百年戦争とシャルル7世」
聖母マリアと幼子イエスを描く「聖母子像」はヨーロッパでは美術館でも教会でも頻繁に目にするが、これまで見た中で衝撃的だった「聖母子像」がある。1452年に描かれたジャン・フーケ「天使に囲まれた聖母子(ムランの聖母子)」(アントワープ王立美術館)である。清楚とは程遠い艶っぽい聖母マリアがなんと胸をはだけているのだ。実はこの聖母のモデル、ジャンヌ・ダルクがランスで戴冠させたフランス国王シャルル7世の公妾(公式愛妾)だったアニェス・ソレル。「公妾」とは単なる愛人ではない。フランス宮廷に特徴的な存在で、国王の妃と貴族たちから、公の席に顔を出す権利を認められた国王の愛人でいわば「ファーストレディ」。マントノン夫人(ルイ14世の公妾。「秘密の結婚」をし、「無冠の王妃」と呼ばれた)、ポンパドゥール夫人(ルイ15世の公妾。国政に大きく関与し、長年対立していたハプスブルク家と同盟関係を結ぶ「外交革命」を実現)、デュ・バリー夫人(ルイ15世の公妾。マリー・アントワネットと対立した最後の公妾)が有名だが、フランス宮廷史上最初の公妾がアニェス・ソレルだった。ジャンヌ・ダルクを見殺しにした(1431年ルーアンで火刑)シャルル7世だが、1450年にノルマンディーを奪還。1453年にはボルドーも奪還して英仏百年戦争を終結させ、「勝利王」と呼ばれるに至った。無気力だったシャルル7世を奮い立たせ、イギリスとの戦いを再開(1449年8月)させたのはアニェス・ソレル。ブラントーム『好色女傑伝』はこう記す。 「美しいアニエスは、国王シャルル七世が彼女に夢中で彼女と寝ることにしか心を向けず、無理力で、国のことを少しも考えないでいるので、ある日、国王に告げた。
幼いころ、占星術師が、彼女はキリスト教国でもっとも雄々しく、もっとも勇敢な国王に愛され尽くされると予言した、と。シャルル七世が彼女を愛するようになったとき、彼女はこの国王こそ予言されていた雄々しい国王だと思った。けれども、国王があまりにも無気力で、国事にもほとんど関心を持たないでいるのを見て、彼女は自分がまちがっていた、勇気ある国王は彼ではなく、イギリス国王なのだと気がついたのである。イギリス国王は優秀な軍隊を持ち、美しい町を次々と手にしていたからだ。ですから、と彼女は国王に言った。あの方のところに参ります。なぜなら、占星術師が語ったのはあの方だからです、と。」
こんなふうに言われたら、どんな男だって奮い立つだろう。ところで、ジャン・フーケの「天使に囲まれた聖母子(ムランの聖母子)」で、聖母=アニェス・ソレルが片方の乳房を露出しているのは、なんとアニェス・ソレルが始めたファッション。さすがのフランス宮廷でも広がらなかったようだが。ちょっと残念。
(ジャン・フーケ「シャルル7世」ルーヴル美術館)部分
(ジャン・フーケ「天使に囲まれた聖母子」アントワープ王立美術館)
(ピエール・ミニャール「マントノン夫人」ヴェルサイユ宮殿)
(カンタン・ラ・トゥール「ポンパドゥール夫人」ルーブル美術館)
(ジャン・バティスト・アンドレ・ゴーティェ・ダゴディ「デュ・バリー夫人」リスボン グルベンキアン美術館)
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