「シャンパーニュ地方の古都ランス」

 シャンパンの産地として有名なシャンパーニュ地方の古都ランスは、パリの北西170kmに位置する人口20万の都市。日本からランスを訪ねる観光客のほとんどは、シャンパン・カーヴの試飲が目的のようだが、ランスにおけるフランス史上重要な場所はなんといってもノートル・ダム大聖堂。歴代フランス国王の公式の戴冠式の場だったからだ。そのためランスは「戴冠の都市(la cité des sacres)」または「王たちの都市(la cité des rois)」とも呼ばれる。

 では、フランス国王となるには、なぜランスのノートル・ダム大聖堂で戴冠式を行わなければならなかったのか?それは、フランス王国の始祖ともいえるフランク王国建国者クローヴィス1世が、496年(498年、499年という説もある)にこのランスの大聖堂で洗礼を受けたからである。フランスの元大統領シャルル・ド・ゴールはかつてこう述べた。

「私にとってフランスの歴史はクロービスから始まる。クロービスはフランク族によってフランス王に選ばれた。フランスという名はこのフランク族に由来するのだ」

 また、フランスでは1996年に「建国1500年祭」が行われたが、クローヴィスがランスの大聖堂で洗礼を受けた496年を建国の日とみなしているからだ。もちろん、フランス革命以来共和主義を旗印にしたフランスには不適当だという論議も多くなされたのは確かだが。

 クローヴィスの洗礼は、クリスマスの夜に行われたが、この日はフランスの霊的誕生の日、フランスの王権の神聖が基礎づけられた日である。ランス大司教ヒンクマール(在位:845-882)は『ランス教会史』の中で、その時の様子をこう記している。

「とつぜん、太陽よりも輝かしい光が、教会中に溢れた。司教の顔がひときわ照り輝いた。同時に、一つの声が鳴り響いた。『平安があなたがたとともにあれ。わたしである。おそれるな。わたしの愛のうちに、いついつまでもとどまっておれ。』。声が話し終えると、たちまち、天の香りがあたり一面にたちこめた・・・」

 この時洗礼を施したのがランス大司教レミ。この後、クローヴィスにこう語りかけたとヒンクマールは記す。

「わが子よ、フランク王国こそは、ただひとつキリストの真の教会であるローマ教会の守りにつくべく神の定めを受けていることを知るがいい。この王国は、いつの日か、すべての王国の中で大いなるものとなり、ローマ帝国のすべての国境をもおおいつくすことであろう。そして、すべての国民を、その王権のもとに従えることであろう。」

 そして、このあと洗礼にあたって、肝心の聖なる香油が、群衆に隔てられて聖式を執行する人のもとへたどり着けないという事態になってしまう。その時不思議な出来事が起きる。

「大司教は、目を天に上げて、この緊急の必要に際して主の助けをねがわれた。とつぜん、おびただしい群衆が歓喜と驚きの目を見張る中を、聖油の入った小瓶をくちばしにくわえた一羽の白い鳩があらわれて、大司教の手のとどくところまで飛来した。たちまち、えもいわれぬ心地よい香りを、そこにいたすべての人々がかいだ」

 この場面は、聖レミによるクローヴィスへの洗礼を描いた多くの美術作品にうつしとられている。フランスの誕生日ともいえるクローヴィスの洗礼はその後のフランスの歴史、今のフランス人の心性にどのような痕跡を残したのだろうか。

(「クローヴィスの洗礼」 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)部分

(「ノートル・ダム大聖堂」 ランス)

(「聖レミと聖なる香油瓶【サント・アンプール】」)

(「クローヴィスの洗礼」 アミアン ピカルディー美術館)

(クローヴィスの洗礼と聖なる香油瓶【サント・アンプール】)

(「サン・レミ聖堂」 ランス)

(「聖なる香油瓶」【サント・アンプール】)


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