「フランスの守護聖女ジャンヌ・ダルク」④

 オルレアン解放の翌日、ジャンヌは早くもシャルルのいるロッシュへむかう。そして、5月11日、王太子シャルルと再会しランス行きをせまる。

「一旦国王が聖別・戴冠を終えれば敵方の勢力は衰え続け、フランス国王にも王国にも危害をくわえなくなるでしょう」

 しかし、側近たちは反対する。ロッシュ城からランスまでの道のりは敵軍(イギリス軍と結んでいたブルゴーニュ公フィリップ善良公)の支配下の土地を通らなければならないからだ。確かにその地域を突破してランスに行くことは危険な賭け、常軌を逸した計画だった。日夜会議が繰り広げられるが、話は一向に進まず平行線をたどるばかり。ジャンヌは粘り強くシャルルを説得。

「私たちに必要なのは宮廷の会議ではなく、戦場における武勲なのです」

 ジャンヌは、ロワール河周辺の都市を次々にイギリス軍から奪回していく。6月17日のパテーの戦いでは、イギリス側の死者3000人に対して、フランス側の死者はわずか3人という圧倒的大勝利を収める。6月29日、シャルルはようやくランス行きを決意する。

 翌日、ブルゴーニュ公の支配下にあったオーセルに到着、交渉の末通過を認めさせる。次の進軍先はトロワ。9年前の1420年、シャルルから王位継承権を奪ったトロワ協定が結ばれた町。開城の困難が予想された。しかし、到着した時ジャンヌはシャルルに言う。

「3日以内に、愛によるか、力によるか、勇気によるか、いずれにせよトロワの町にお入れします。そうすれば、不誠実なブルゴーニュ派は、すっかり仰天することでしょう」

 そしてなんと翌日の7月10日には町の門が開かれ、トロワの代表者たちがシャルルに町の鍵を手渡しにやって来たのだ。7月14日に到着したシャロンも、トロワと同じようにシャルルに忠誠を誓う。そしてついに7月16日夕方、シャルルはランスの町に足を踏み入れた。

 そして翌日、ランス大聖堂で待望の「聖別・戴冠の儀式」が挙行され(もちろんジャンヌも参列)、王太子シャルルは晴れて「正統のフランス国王シャルル7世」であることを天下に宣明したのである。戴冠式のあと、ジャンヌは国王シャルル7世の前にひざまずきこう言った。

「気高き国王陛下、いまや神のご意志が実現されました。神がお望みになられたように、私は陛下をこのランスの町にお連れし、聖なる戴冠式をあげていただきました。これで陛下は本当の国王になられ、王国は陛下のものとなったことが示されたのです。」

 その場面を見ていたすべての人々は、大きな感動につつまれたと記録されている。

(ジュール・ルネプヴ「シャルル7世の戴冠」パンテオン)部分

(ジュール・ルネプヴ「シャルル7世の戴冠」パンテオン)全体

(「馬上のジャンヌ」 アントワーヌ・デュフール「著名な女性たちの生涯」から抜粋された細密画 ナント ドブレ美術館)

(フランク・クレーヴ「パテーの戦い」オルセー美術館)

(「王太子とジャンヌに町の鍵を手渡すトロワの住民たち」 マルシアル・ドーヴェルニュ「国王シャルル7世を悼む祈り」から抜粋された細密画)王の隣がジャンヌ・ダルク

(「ジャンヌ・ダルク像」 ランス大聖堂)今まで出会った中で一番イメージに近いジャンヌ像


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