「フランスの守護聖女ジャンヌ・ダルク」③
ジャンヌ・ダルクがイギリス軍によって7カ月にわたって包囲されていたオルレアンに入ったのは1429年4月29日。そう、589年前の今日のことだ。人々はどんな思いで迎えたか。
「甲冑に身を固め、白馬にまたがって、彼女はオルレアンの町に入ってきた。・・・市民たちが、まるで神が降り立つのを見るかのように、数多くの松明を掲げて彼女を出迎えた。無理もない。彼らはもはや救われる望みなどなく、命も財産も失うのではないかと恐怖におののいていたからだ。だがこのとき彼らは、この乙女に宿るという神の力に勇気づけられ、みなすでに町が解放されたかのように感じていた」(無名の市民による『オルレアン籠城日誌』より)
5月4日 サン・ルー砦を奪取
5月5日 ジャンヌ、イギリス軍に最終勧告の手紙を送る。
「あなたたちイギリス人は、このフランス王国にいかなる権利ももっていません。天の王は、私、
乙女ジャンヌを通じて、あなたたちが要塞を放棄して、国に帰るよう命じておられます。・・・
これが、私があなたたちにあてた3度目で、しかも最後の手紙となるでしょう」
5月6日 オーギュスタン砦を奪取
フランス軍の指揮官たちは、予期せぬ勝利に、あとは守りに徹すべきだとジャンヌに言う。しか
し、ジャンヌは完全な勝利を手にするためには、トゥーレル砦を陥落させるべきだと、怒ってこ
う言う。
「あなたたちにはあなたたちの考えがあるでしょうが、私には私の考えがあります。そして私の主
の考えが実現し、あなたたちの考えは通らないとお考え下さい」
5月7日 トゥーレル砦を奪取
5月8日 イギリス軍、包囲を解いて撤退
オルレアンの町では、5月8日のこの勝利を記念する祭り「Fêtes de Jeanne d’Arc」(ジャンヌ・ダルク祭)が1435年からとぎれることなく続けられている。大聖堂の祭式や兵士の行進、空軍のデモ飛行などが盛大に催され、特に15世紀の英仏百年戦争の時代を再現するパレードは圧巻。さまざまなイベントやパレードには市民から選ばれた「ミス・ジャンヌ・ダルク」が参加。この「ミス・ジャンヌ・ダルク」選出は1912年から始まったが、応募資格は16歳から19歳の乙女(処女)で、両親ともにオルレアン市在住。ジャンウ・ダルクが受けたような処女検査はさすがに行っていないようだが、少女の学校や隣人の評判から少女の純潔性が判断されているとのこと。2月の選考で当選すると、3カ月間乗馬の訓練。2018年の「Fêtes de Jeanne d’Arc」は4月29日から5月8日まで。今年はどんな少女が選ばれたのだろうか。
(2016年の「Fêtes de Jeanne d’Arc」)
(ジュール・ルネプヴ「オルレアン包囲戦でのジャンヌ」パンテオン)
(包囲戦のあった1428年-1429年のオルレアン)
(「ジャンヌ・ダルク像」 オルレアン マルトロワ広場)
(「ジャンヌ・ダルク像」オルレアン市庁舎中庭)
(ジャン・ジャック・シュレール「ジャンヌのオルレアン入城」オルレアン美術館)
1429年5月8日、オルレアンの完全なる解放を果たして帰還するジャンヌ
0コメント