「Natale di Roma」と「サビニ女の略奪」
まもなく「Natale di Roma」(ローマの誕生日)。紀元前753年4月21日にローマが誕生したことを記念して、毎年4月21日の前後に仮装パレードを始め様々なイベントが繰り広げられる。
ローマはロムルスと3000人の仲間によって建国されたとされるが、最初に行ったのが「サビニ女の略奪」(絵画では、ルーベンス、ニコラ・プッサン、ルイ・ダヴィッド、彫刻ではジャンボローニャの作品が有名)。近隣のサビニ族を祭りに招待し、油断させておいて花嫁調達のためサビニ族の女たちを奪ったのだ。サビニ族の男たちは娘たちの返還を要求するがロムルスは応じない。とっとと結婚してしまう。ローマとサビニ族は4度にわたって戦うことになる。ローマが優勢で、サビニ族はローマに滅ぼされるかと思われた。しかし4度目の戦いの最中、ある「事件」が起きる。さらわれたサビニの娘たちが戦場に現れ、ローマ人とサビーニ族の双方に向かって戦争中止を懇願したのだ。略奪されたとはいえ、彼女たちにとってはローマの男は自分の夫。結婚後、妻として大切にされ愛情も生まれていた。自分の夫と親兄弟が殺し合うのにたえられなかったのだ。ロムルスはこの思わぬ仲裁の提案を受け入れる。さらに、サビニ族に対してローマで一緒に暮らすことを提案。この対等合併の申し出をもちろんサビニ族は受け入れる。
その後もローマは、自分たちが戦い、征服した相手を仲間に加えるという路線を継続し、勢力を拡大していった。後に、ギリシアの歴史家プルタルコスは、このローマ人独特の同化政策を次のように評した。
「敗者さえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」 「寛容」をモットーに掲げ、ローマと属州の一体化を目指した偉大な変革者カエサル。彼もこの「敗者を同化する」ローマの伝統の忠実な推進者だった。
(ダヴィッド「サビニ女の仲裁」ルーヴル美術館)
ローマのカピトリーノの城塞の下で勃発した戦闘を止めようとするサビニの女たち。ロムルスの妻になった ヘルシリアが、左側に立つ父のサビニ王タティウスと右側に立つ夫のローマ王ロムルスの間に入って仲裁している。戦闘を止まさせようとして、子供を振りかざす女性もいる。遠くではすでに腕が突き挙げられ、幾つかの兜が和平のしるしとして振りかざされ、事件の幸せな結末を表現している。
(ニコラ・プッサン「サビニ女の略奪」ルーヴル美術館)
左に立っているのがロムルス。前景左側に描かれた一群は、おそらくベルニーニの作品に想を得たものと思われる。
(ルーベンス「サビニ女の略奪」ロンドン ナショナルギャラリー)
(ジャンボローニャ「サビニ女の略奪」フィレンツェ ロッジア・ディ・ランツィ)
(2017年 Natale di Roma )ローマ軍に扮した仮装パレード
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