カラヴァッジョ『イサクの犠牲』

 1401年、ルネサンスの幕開けとみなされるコンクールがフィレンツェで行われた。サン・ジョヴァンニ洗礼堂第二門扉の制作競技である。与えられたテーマは、旧約聖書「創世記」の中の「イサクの犠牲」。最後まで残ったのは二つの作品。作者はギベルティとブルネレスキ。結局、審査員(34人)は二つの作品に優劣をつけられず、門扉の制作を二人の平等な共同作業とすることに決めた。しかし「その仕事で同等ないし二番目の地位を占めるより、むしろひとつの分野で首位でありたいと望んだ」(ヴァザーリ)ブルネレスキは、ギベルティとの共作を拒み、全体がギベルティに委託された。ギベルティはこうして第二門扉の制作を開始し、さらに生涯の大作第三門扉「天国の門」の制作へと彫刻家の道を極めて行った。他方、ブルネレスキはドナテッロとともにローマへ旅行し古代の彫刻と遺跡を研究し、建築家としてフィレンツェ大聖堂の大ドームの架構に取り組み、見事に完成させた。

 ところでこの時のコンクールのテーマ「イサクの犠牲」は、聖書の中で以下のように記述されている。

「神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」・・・神が命じられた場所につくとアブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

                             ((創世記 22章 2節、12ー13節)

 アブラハムにとって、イサクがどれほど大切で愛しい存在だったかを知らずにこの場面は理解できない。神は信仰篤いアブラハムに「あなたを大いなる国民に・・・」「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」と約束された。アブラハムは主を信じるが、いつまでたっても妻サラとの間に子どもは生まれない。ついに、サラはエジプト人の女奴隷ハガルをアブラムの側女にし、子どもを産ませようとする。そして男の子イシュマエルを出産。この時、アブラハム86歳、サラ76歳。それから13年後、神から啓示が下る。

「わたしは彼女(サラ)を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。」((創世記 17章 16節)

 そして1年後に生まれたのがイサクなのだ。アブラハム100歳、サラ90歳の子。その後、イシュマエルがイサクをからかったことからサラの願いで、ハガルとイシュマエルは追放される(イスラム教では、二人がたどり着いたのがメッカとされる。イシュマエルはアラブ人の祖先)。アブラハムとサラにとってどれほどイサクは大切で愛しい一人息子だったことか。ところが神は、アブラハムの信仰心、神への忠誠心を確認するためイサクを神への捧げ物とせよと命じる。神への信仰と我が子への愛。そのはざまでどれほどの葛藤、煩悶があったことか。それでも信仰の父アブラハムは神に従う。神のなさるわざの深い意図を人間が理解できるはずもないと思ったのだろう。カラヴァッジョ「イサクの犠牲」のアブラハムの表情には迷いは微塵もない。意を決した暴力的ともいえる表情。天使に腕をつかまれても、驚いた様子も見せない。しかし、イサクには殺される恐怖、しかも自分を愛してくれる父から殺される驚愕しかない。その対比が見事だ。エルミタージュ美術館にあるレンブラントの作品とともに、強烈な印象を与える「イサクの犠牲」である。

(カラヴァッジョ 「イサクの犠牲」フィレンツェ ウフィツィ美術館)

(フィレンツェ大聖堂[ドゥオーモ]とサン・ジョヴァンニ洗礼堂)

(ギベルティ「イサクの犠牲」)1401年コンクール出品

(ブルネレスキ「イサクの犠牲」)1401年コンクール出品

(マッティアス・ストーメル「ハガルをアブラムにあてがうサライ」ベルリン国立絵画館)

(グエルチーノ「ハガルとイシュマエルを追放するアブラハム」ブレラ美術館)

(レンブラント 「イサクの犠牲」サンクトペテルブルク エルミタージュ美術館)


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