カラヴァッジョ『改悛のマグダラのマリア』
今年の夏、ローマを訪れる。「ローマ帝国の都ローマ」、「キリスト教の都ローマ」、「ミケランジェロのローマ」、「ベルニーニのローマ」。これまで毎回テーマを決めてローマの街を回った。今回のテーマは「カエサルのローマ」、「巡礼者の都ローマ」、「カラヴァッジョのローマ」。ちょっと欲張りすぎなのはわかっている。とても5日の滞在では無理。いずれ1ヶ月(いや3カ月は必要かな)ぐらい滞在して自分の五感をフルに働かせて、ローマという世界の都の魅力を浮き彫りにしたいと考えている。今回はその下見かな。
今回是非見たい絵の一枚がドーリア・パンフィーリ美術館にあるカラヴァッジョの「改悛のマグダラのマリア」。マグダラのマリアは聖書のいくつかの場面に登場する。 イエスに悪霊を取り払ってもらい、イエスの磔刑に立ち会い、復活したイエスに最初に出会った女性として描かれている。では、「改悛のマグダラのマリア」というテーマは聖書のどの記述に由来するのか?「ルカによる福音書」に登場する「罪深い女」の記述である。
「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」(ルカによる福音書7章37-38節)
しかし、ここには「罪深い女」としか書かれていない。要するに、マグダラのマリアはこの「罪深き女」と同一視されたのだ。さらに、13世紀に記された「黄金伝説」(キリスト教の聖人伝)では、マグダラのマリアは金持ちの娘で、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したとされているのだ。なお、今日のカトリック教会では、第2ヴァチカン公会議(1962年~1965年)を受けて1969年にマグダラのマリアを「罪深い女」から区別する旨が明確にされており、その地位は見直されている。
いずれにせよ、罪深い人間が改悛する姿は普遍的テーマになりうる。そのテーマをどう描くか?ティツィアーノ、エル・グレコ、ラ・トゥールの絵がよく知られている。彫刻家ドナテッロも強烈な作品を残した。カラヴァッジョの作品はいかにもカラヴァッジョらしく、ぱっとみると若い女性が悲しんでいるだけの絵としか見えない。しかしよく見ると、床には罪深き生活を送っていた頃に身につけていたと思われる装身具が打ち捨てられている。マグダラのマリアの持ち物とされる「香油壺」も置かれ、その「香油壺」はスカートの文様にも描かれている。 人間にとって本質的で普遍的なテーマ、それをどうわかりやすくかつ印象的に表現するか、カラヴァッジョから大いに学びたいと思う。
(カラヴァッジョ「改悛のマグダラのマリア」ローマ ドーリア・パンフィーリ美術館)
(ティツィアーノ 「改悛のマグダラのマリア」フィレンツェ ピッティ宮美術館)
(エル・グレコ「改悛のマグダラのマリア」マサチューセッツ ウースター美術館)
(ジョルジュ・ラ・トゥール「改悛のマグダラのマリア」ロンドン ナショナル・ギャラリー)
(ドナテッロ 「マグダラのマリア」フィレンツェ ドゥオーモ付属美術館)
0コメント