「ローマの魅力まるかじり ―巡礼ルート③―」
コロンナ広場には、やはり巡礼者たちの渇いたのどを潤すために泉が置かれている。かつてポポロ広場に置かれていた泉を造ったジャコモ・デッラ・ポルタ(「泉の建築家」と呼ばれる)の作品。ローマを知るうえでこの人物の名前は知っておいた方がいい。イエズス会の母教会であるジェズ教会(1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの腕の一部が聖遺物として保管されている)のファサードを造ったのも彼だし、何よりミケランジェロ設計のサン・ピエトロ大聖堂のあのドームを完成させたのもデッラ・ポルタなのだ。
では、コロンナ広場をあとにして、サンタンジェロ橋に向かう。少々道が入り組んでいるが、Via dell coppelleを通ってコロナーリ通り(Via dei coronari)に入るとまっすぐな道が500メートルあまり続く。ここはかつては巡礼路にふさわしく、ロザリオ(十字架のついた数珠)売りでにぎわっていた。今はアンティークの店が点在するのみ。ローマのメイン通りのひとつであるヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りとぶつかる手前の角を右に曲がると正面にサン・タンジェロ城がみえる。それに向かってサン・タンジェロ橋を渡る。
ここまで来る途中のエリアは、見どころ満載。まずは、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会。ここのコンタレッリ礼拝堂で1600年(ちょうど関ヶ原の戦いの年)バロック美術が誕生した。『大辞泉』によれば「バロック」とは「 《(ポルトガル)barroco(ゆがんだ真珠)から》 16世紀末から18世紀に欧州で流行した芸術様式。均整と調和のとれたルネサンス様式に対し、自由な感動表現、動的で量感あふれる 装飾形式が特徴。」となるが、ルターらによる宗教改革に対して、カトリックが巻き返しを図るために美術の力を動員したことが背景にある。1600年、コンタレッリ礼拝堂の2枚の絵が公開された。「聖マタイの召命」と「「聖マタイの殉教」である。「悪意を持った人々からさえ絶賛された」といわれ、作者のカラヴァッジョはこの絵で公的デビューをはたし、一夜にしてローマで最も有名な画家になった。特に素晴らしいのは「聖マタイの召命」。聖書の次の場面がテーマ。
(「ルカ福音書」第5章27節-28節)
「その後、イエスは出ていって、レビ という徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」
レビとはマタイのこと。この記述のポイントは、第1はマタイ(レビ)の職業が「徴税人」だったこと。徴税人は、ローマ帝国に納める税金を同胞のユダヤ人から徴収する役人で、当時は「罪人」と同義だったという点。そして第2は、そのマタイにイエスは自分の弟子になるように求め、マタイもすべてを捨ててすぐに従ったという点。「速やかな回心と召命」。これはまさに奇跡だ。死んだ人間が生き返る「ラザロの復活」だけでなく、この「マタイの召命」もイエスによる奇跡なのだ。それをカラヴァッジョはどう描いたのか?そして、なぜその絵がバロックの誕生とまで称されるのか?
(サン・タンジェロ城とサン・タンジェロ橋)
(コロンナ広場にあるデッラ・ポルタの泉)
(ミケランジェロが設計し、デッラ・ポルタが完成させたサン・ピエトロ大聖堂のドーム)
(コロナーリ通り)かつての巡礼路の面影がわずかながら残っている
(ルーベンス「レウキッポスの娘たちの略奪」アルテ・ピナコテーク ミュンヘン)
バロックを代表する絵画
(サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会)
(サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂)
(カラヴァッジョ「聖マタイの召命」)
(カラヴァッジョ「聖マタイの殉教」)
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