「ローマの魅力まるかじり ―巡礼ルート④―」
カラヴァッジョの「マタイの召命」。描かれているのは、当時の衣装を身につけた人々が集まっている徴税所。そこはまるで居酒屋か賭場のような日常的空間。この絵を観るものは違和感なく一体化させられる。しかし、それだけではバロックではない。観たものに信仰心の高揚をもたらす必要がある。どのようにしてカラヴァッジョはそれを可能にしたか?
「私についてきなさい」と声をかけるイエス(このイエスの指の表現は、有名なシスティーナ礼拝堂の天井画【ミケランジェロ「アダムの創造」】のアダムの手がモデル)。静かだがその言葉の重さ、神聖さが右上から差し込む光によって表現される。ではイエスに命じられたマタイはどこにいるのか?以前は真ん中の髭の老人だとされてきたが、左端の若者だろう(有力説)。右手で金勘定をし、左手はよく見ないと分からないが、しっかり金袋を握りしめている(あのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、裏切り者のユダがそうしていたように)。つまり、カラヴァッジョは、イエスから声をかけられたマタイが、その次の瞬間、立ち上がりすべてを捨ててイエスに従って出ていく直前の「緊張した瞬間」を絵画化したのだ。この絵を目にした人々は、奇跡が自分の目の前で展開していると感じ、信仰心を喚起させられた。それこそが、この絵がバロック美術の誕生とされるゆえんだ。カラヴァッジョは、場面に風俗画のような現実性をもたせながら、光と影の劇的な(と言ってもあくまで静寂さを保ちながら)明暗の対比の強調によって、イエス(神)の神聖さを浮かび上がらせ、絵の世界と見る者の現実を一体化させたのだ。
このことは、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会から近いサン・タゴスティーノ教会にある「ロレートの聖母」にもあてはまる。ロレートとはイタリアのアドリア海沿いにある町。13世紀に聖家族(イエス、マリア、ヨセフ)が住んだ「聖なる家」がナザレ(イエス・キリストが幼少期から公生涯に入るまでを過ごした土地)からこの地に飛来したという伝承があり、現在にいたるまで巡礼者が絶えない聖地である。カラヴァッジョは、その「聖なる家」に巡礼に来た貧しげな男女(母と息子)の前に聖母子が顕現した奇跡を描いた。この絵が公開された時、人々は大騒ぎしたとカラヴァッジョのライバルであった画家バリオーネは伝えている。汚い足の裏を見せながら一心に祈る巡礼者、現実的でありながら強い光を浴びて神秘的に浮かび上がる聖母子(特にマリア)。ローマに集まってきた巡礼者たちは、自分たちもその場面に立ち会ったかのような錯覚、興奮を味わった。当時の巡礼者たちの興奮を追体験させてくれる絵画である。
(カラヴァッジョ「マタイの召命」)
(ミケランジェロ「アダムの創造」システィーナ礼拝堂)
(アダムの指の動き【反転】とイエスの指の動き)そっくり!
(カラヴァッジョ「マタイの召命」)金袋を握りしめ、金勘定をするマタイ
(レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」)
(金袋を握りしめるユダ)
(ヘンドリック・テルブリュッヘン「マタイの召命」)カラヴァッジョの作品との大きな違い
(サン・タゴスティーノ教会)コロンナ広場からサン・タンジェロ橋に向かう途中の巡礼路にある
ファサード(正面)は簡素なルネサンス様式
(カラヴァッジョ「ロレートの聖母」)
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