「ふたつの太陽の出会い」

 「江戸城無血開城」。それは、幕末維新の一つのハイライト。立役者は西郷隆盛と勝海舟。この時の様子を勝は『氷川清話』の中でこう言っている。

「あの時の談判は、実に骨だったよ。官軍に西郷が居なければ、談(はなし)はとても纏まらなかっただろうよ。・・・いよいよ談判になると、西郷は、おれのいふ事を一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかった。

『いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします』

 西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生命と財産とを保つことができ、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。・・・この時、おれがことに感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、談判の時にも、始終座を正して手を膝の上に載せ、少しも戦勝の威光でもって、敗軍の将を軽蔑するといふやうな風が見えなかった事だ。」  

 西郷にこのような態度をとらせたのは、もちろん西郷が勝に畏敬の念を抱いていたから。話は元治元(1864)年にまでさかのぼる。当時、幕府は禁門の変で朝敵となった長州に対して第一次征討軍を差し向けていた。征長参謀は西郷隆盛。長州征討の事実上の主役だった。当初、長州藩の壊滅まで考えていた西郷が「征長戦は無益」とし、戦争回避に大転換したのは勝と会ってから。二人は、9月11日大坂で会談。勝は西郷に言う。

「 長州征伐など、幕府を利するだけだ。いまの幕府は朽ちかけた大木のようなもので、非常の国難を担当する力などない。雄藩が連合して国難に当たるべきだ。長州問題など、早く妥当な処分で兵を収めるべきだ」  

 考えを改めた西郷は、9月16日の大久保利通宛書簡で勝の印象をこう語っている。

「 勝氏に面会したが、実に驚くべき人物である。はじめ打ち負かすつもりだったが、こちらの頭が下がるような状態だった。どれだけ知略があるかわからない英雄肌の人物である。学問と見識では佐久間象山が抜群であるが、実行力、決断力ではとうてい勝に及ばない。勝という人物にひどく惚れた」  

 1812年7月19日、テープリッツでベートーヴェンとゲーテが初めて会った。ロマン・ロランはそれを「二つの太陽たるベートーヴェンとゲーテの邂逅」と評した。西郷と勝の大坂での出会い。これも「ふたつの太陽の出会い」と呼ぶに十分値する邂逅だったと思う。

(江戸開城談判)

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