「執着心からの解放」

 今日は「よみうりカルチャー恵比寿」で『幕末おんな列伝―その男にこの女ありー』第2回で、高杉晋作と野村望東尼を取り上げた。講義しながら感じたのは、高杉の魅力とともに、いやそれ以上に西郷隆盛の凄味、政治力だ。第1回長州征伐時における西郷の動きにあらためて脱帽。

 幕府は、禁門の変で朝敵とされた長州に征討軍を送る。その参謀に任じられたのが西郷隆盛。当初、長州壊滅を望んでいた西郷が、勝海舟との会談を通して、遠くない時期における幕府崩壊の予想と幕府に代わる雄藩連合の構想を抱くようになる。そうなると、倒幕勢力として、薩摩が手を組む藩はどこか、雄藩連合において薩摩が主導権を握るにはどうするかを当然考える。そして、これまで敵対してきた長州の存在が浮かび上がる。長州征伐軍参謀として長州征伐の大義名分を果たしつつ、長州の勢力温存を図らなければいけない。おりしも、長州では保守派藩政府打倒を目指して高杉晋作が功山寺で挙兵。当初決起に難色を示していた奇兵隊も巻き込み、藩の主導権を握りつつある。その動きを把握しつつ、西郷は征伐軍の撤兵を決める。高杉は、西郷の動きに呼応しつつ反政府の正規軍を次々に打ち破り藩の政権を奪還する。西郷が長州征伐軍を引き上げなければ、わずか84人での功山寺決起が成功を収めることなど不可能であっただろう。もちろん、長州を徹底的にたたきたい幕府の強硬派からすれば、西郷のとった対応はあまりに手ぬるく、第二次長州征伐へつながっていくのだが。しかし、西郷は第二次長州征伐への出兵拒否で薩摩の藩論をまとめあげ、薩長同盟へと進んでいく。

 NHK大河ドラマ「西郷どん」がこのあたりをどう描くのかわからないが、西郷の政治力は世界史上でも5本の指に入ると個人的には思っている。それにしても、これだけの政治力を発揮(敵も味方も納得させつつ自らの目的を実現する)するには、周りに左右されない強固な自己、骨太な個人主義を身につけていなければ不可能だろう。西郷は一度死んだ人間。月照とともに錦江湾に入水自殺を図りながら自分だけ生き残った「土中の死骨」いう自己認識を有している。その意識によって、西郷は無用な配慮、気使いから自由に判断、行動できるようになったと思う。こういう人間は強い。西郷は言った。

 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人なら

 では、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」

 執着心から解放されること、それこそが真の強さを生むのだ。

(佐藤均 画   致道博物館 山形県鶴岡市)

0コメント

  • 1000 / 1000