「『生命の親様』望東尼」②
倒幕維新の大業は、それまで敵対していた薩摩、長州が坂本龍馬の仲介によって薩長同盟を結んだことによって成就した。では薩摩事自体が転回するのはいつか?西郷隆盛が表舞台へ登場した時だろう。それはいつに始まるか?沖永良部島に流されていた西郷の赦免に島津久光がしぶしぶながらも同意した時だと思う。側近から「もし、西郷赦免の願いをお聞き入れなくば、有志一同、割腹つかまつる所存でございもす」と言われた久光はこう答えた。
「左右みな(西郷のことを)賢者だと言うか。しからば即ち愚昧の久光一人これを遮るのは公論ではあるまい。太守公(藩主忠義)に伺いを立てよ。太守公において良いと言われるのなら、わしに異存はない」
勝田孫弥は『西郷隆盛伝』の中で、久光の赦免、西郷復帰を「維新の大業は実にこの一挙に基因す」と記している。元治元(1864)年2月28日、鹿児島に戻った西郷は3月18日、軍賦役 兼 諸藩応接係に任命され軍事・外交の最高責任者として政局の中心地、京へ赴く。ここから歴史は倒幕に向かって大きく動き出す。 では、長州藩の転回点はいつか?正義派と俗論派に分かれ藩論が二分されていた長州を正義派でまとめ上げることになる高杉晋作の功山寺決起だろう。そして、高杉にその決断をさせた場所が望東尼の平尾山荘だった。葉室麟は『春風伝』の中でこう描いた。
「石の目が見つかり申した」
「石の目でございますか?」
望東尼は怪訝な顔をした。
「長州という硬い石を割るために、鑿を打ち込む石の目でござる」
「それはどのようなものでございましょう」
「先ほど交わしたお話から、馬関こそ石の目であることに気づきました」
「まあ、馬関が石の目だと」
望東尼は微笑んだ
「さよう、馬関を奪えばよいのです。・・・・馬関を奪えばア、奇兵隊はわが故郷に帰ろうとする獣のように、必ず動き出すはずです」
一気に高揚した心持ちで言い募る晋作を、望東尼はやさしい眼差しで見つめた。
「やはり、高杉様は自らが向かうべき道を見つけ出されましたなあ」
「馬関決起はおそらく、それがしの天命でござろう」 ・・・・・
高杉にとって望東尼は、死にかけていた彼を蘇生させた「生命の親様」そのものだった。そして、死にかけていた藩も蘇生させた、長州にとっての「生命の親様」でもあったように感じる。
(平尾山荘)
(野村望東尼)
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