「『チビ伍長』と呼ばれたナポレオン」

 1814年に描かれた『ヨハネ黙示録の獣』という風刺画がある。ナポレオンの顔をよく見ると、累々たる死体から構成されている。また『人類をむさぼり喰らう鬼』(1814年初頭)では、人間の手足をくわえたナポレオンが、母親を扶養するため徴兵免除請願書を出そうとしている若者の頭をつかみ食おうとしている。

 ナポレオン戦争では多くの人命が失われた。ロシア遠征では、60万の大軍で出発しながら、ニーメン川を渡って戻って来られたのはわずか5千人。メッテルニヒとのドレスデン会談(1813年6月28日)では「余の如く戦場で大人になった男には百万の人命も気にならぬ」と発言し、「人命の浪費者」(スタール夫人 )とか「食人鬼」(=「オグル」ogre )の名を与えられた。そんなナポレオンが、なぜ兵士たちとの間で深い信頼関係を築けたのか。ナポレオンの部下の兵に対する考え方が表れている言葉をいくつか。

「人は彼の妻、彼の家族、それに彼の部下に対する行為で判断される」

「悪い連隊はない。悪い大佐がいるだけだ。ただちに大佐のクビを切れ」

「戦の雲行きが怪しくなったら、私は一番の激戦区に駆けつける」

 ナポレオンは兵士を「我が子」(メ・ザンファン)と呼び、兵士はナポレオンを「チビ伍長」(プチ・カポラル)と呼んだ。多くの回想録が書き留めている。ナポレオンは、野営地で兵士らと親しく接し、食い物はあるかと尋ね、彼らの答えに声を上げて笑い、彼らの打ち明け話に耳を傾けた。報償の分配方法についても、ナポレオンは最下位の兵士の意見も採り上げた。合戦後、周囲に円陣をはらせ、将校や下士官、兵卒らに話しかけ、誰が一番勇敢だったか尋ね、その場で報償を与え、手ずから鷲の標章を配ることもよくあった。ナポレオンを批判する材料など山ほどある。しかし、リーダーの在り方として、とくにその人心掌握術についてナポレオンから学ぶところは大である。

(1814年初頭『人類をむさぼり喰らう鬼

』)(1814年『ヨハネ黙示録の獣』)

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