「先制主導」
ココ・シャネルが晩年暮らし、ダイアナ妃が事故前に食事をとったホテル・リッツが建ち、高級宝飾店がずらりと並ぶパリ・ヴァンドーム広場。その中心に建つのが高さ42メートルの「アウステルリッツ戦勝記念柱」。ナポレオンが打ち負かしたオーストリア・ロシア軍から捕獲した大砲1200門を改鋳して建造された。この、アウステルリッツの戦い。オーストリア・ロシア連合軍8万7千に対してフランス軍7万3千。兵力の劣勢を戦略で補い会心の勝利を収めたこの戦いは、「戦争芸術の粋」と呼ばれるナポレオン戦争の中でも最高傑作とされる。
ではナポレオンはどのような戦略で勝利したのか?まず、当初占領していたプラッチェン高地を故意に放棄するとともに、右翼陣地を薄くして弱点を形成(もちろん「わな」)し、かわりに左翼陣地を強固に配備。
「もしも、ロシア軍が右翼へ向かうべくプラッツェン高地を離れたなら、彼らは確実に敗北するだろう。」(ナポレオン)
ナポレオンの思惑通り、敵はプラッチェン高地を占領し、主力を投入してフランス軍右翼陣地に攻撃を開始する。手薄になったプラッチェン高地の連合軍に、反対斜面に隠れていた第四軍団が強襲して同高地を占領し、敵を分断。手薄な敵右翼をまずたたき、続いて敵左翼をたたいて敗走させ(各個撃破)、それを軽騎兵、竜騎兵の追撃で決定的勝利を獲得した。
ここにはナポレオンが作戦において常に追求した「先制主導」の考えが明確に表れている。「敵はかくする。故にわれはこう対応する」ではなく「われはかくする。故に敵をしてかくせしめる」ことを主眼に作戦を指導したのだ。敵の選択肢をせばめ、敵を誘致導入して窮地に陥れる高等戦術だが、不利な状況も自らの主体的行動で転換させていくナポレオンの面目躍如といったところだ。「先制主導」。生き方のスタイルとして学びたい。
(ヴァンドーム広場)
「ブロンズ製レリーフ」
対オーストリア・ロシア戦の戦勝シーン が総延長273メートルにわたって描かれている
(夜のヴァンドーム広場)
(フランソワ・ジェラール「アウステルリッツの戦い」ヴェルサイユ宮殿)
ラップ将軍が敵から奪った軍旗をナポレオンに献呈している場面
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